先日、リトグリの大阪城ホールのライブに参加した。

リトグリのコンサートは初めての経験で、昨年から参加したいとずっと思っていたので、念願が叶った。

 

私はファンの人達のように彼女達に詳しいのでもなく、楽曲に詳しくもないので、知っている曲もあれば知らない曲もあった。しかし、知らないからと言って決してつまらないものではなく、すぐに馴染める音楽ばかりで、リトグリ音楽の大衆的な匂いを感じとる。

例えば、「放課後ハイファイブ」や「青春フォトグラフ」などは、それほど聞き込んでいなくても、そのテンポ感にすぐ馴染むことが出来、楽しいものだったし、「move on」や「Baby Baby」は大人の雰囲気を感じさせるものでもあった。

 

 

その中で、印象的だったのが、二人ずつのデュエット曲だ。

Everything could be your chance(MAYU・アサヒ)

小さな恋が、終わった(manaka・かれん)

これらの曲に関しては、日頃、4人ないし5人で歌ってきた世界とは全く別の音楽性を新たに発見することが出来る。

 

ハーモニーを作り上げるのには、核になる音色とそれを取り巻く音色の二つが必要になる。この二つの融和によって、ハーモニーは作りあげられると私は感じる。

リトグリのハーモニーをなぜ私が立体的多重構造になっていると感じるかと言えば、

一つは声の独立性。

そしてもう一つは、親和性の声の存在が感じられないところだった。

 

これは、今までのボーカルグループとは大きく異なると感じる部分で、彼女達の歌声は、5つの音色が、それぞれに非常に存在感を放ち、独立性を保っている。

即ち、誰かの声に誰かが寄り添うという構造ではなく、5つの独立した声が対等に響きあって、その合算された世界がリトグリのハーモニーの世界ということを感じるのだ。

多くのボーカルグループの場合、メインボーカルの存在があり、リードボーカルがそれに続く。

メインボーカルの歌声は、そのままグループの歌声として印象づけられ、当然、メインボーカルの歌声は楽曲のサビを始めとする多くの部分のソロを担当して行く。

即ち、メインボーカルの歌声の響きが核となり、それ以外の歌声は、周囲を埋めて行くことでハーモニーを形成することが多い。

これが今までの日本のボーカルグループの特色で、5人それぞれがメインパートを歌えるという触れ込みだった5人の東方神起でさえ、その主流の歌声はメインボーカルのジェジュンの歌声であり、多くの人は彼の歌声と共に楽曲を記憶しているということになる。

それでも彼らの場合は、それまで日本で活動していた多くのボーカルグループの常識、即ち、メインボーカルが多くを歌い、それ以外のメンバーはバックコーラス、もしくはハモリを担当する、という役割分担とは全く異なり、各パートをソロパートとして、5人がほぼ均等に近い形で歌って行くというハーモニーの構図が新鮮だったことは否めない。

しかし、リトグリは、さらに進化して、メインボーカルの存在がほぼない。

5人が均等に歌いあい、ハーモニーを作り出すときは、5つの音が均等にぶつかり合ってくる。

これが、ハーモニー全体を非常にエネルギッシュなものにし、多重的な音のぶつかり合いの世界を構築して行くことになる。

これが出来るのは、5人の力が均等であることが絶対条件になる。

そういう意味で、リトグリのハーモニーの世界は、今までのボーカルグループとは全く違うと感じることが出来る。

 

実際に生の歌声を聴いた印象は、エネルギッシュな歌声が4つ、同じ太さの同じ直線となって耳に届いてくるという印象で、誰も遠慮せず堂々と自分のパートを歌い切ってくる世界は耳に心地よいものだった。

 

そういう4つのハーモニーの世界を聴いた上でのデュエットでは、各個人の歌声の特徴がよくわかるものだった。

 

5人それぞれが親和性を持たない個性の立った歌声だと感じていたが、デュエットを聴くと親和性の響きを持つメンバーの存在を知ることが出来た。

それはmanakaとアサヒの歌声で、兼ねてより、manakaの歌声はリトグリのハーモニーの土台をしっかりと下支えするものだと感じていたが、この人の歌声の存在が非常に大きいことをあらためて感じさせた。

彼女の歌声は、響きが太く、しっかりとした低音部を持つ。その響きには混濁がなく、ストレートでありながら親和性が高い。

この親和性というのは、他の歌声の響きに寄り添う響きを持つことで、この特徴が、5人で歌うときには、それほど感じられなかったが、かれんとのデュエットでは顕著だった。

かれんのやや金属的な響きのストレートボイスをしっかりと下から支えて幅の広いハーモニーを作り出していた。

二人の歌声が綺麗に響きあっているのが感じられた。

 

またアサヒの歌声は、やや線が細く高音になるとさらに響きが細くなる。

その特徴が、MAYUのエネルギッシュで太い澄んだ低音に非常によく合っていた。

manakaとかれんのハーモニーが、低音からの親和性で作りあげられているのに対し、MAYUとアサヒの場合は、高音からの親和性で作りあげられた世界と言える。

 

このように二人ずつで歌うことによって、お互いの役目を的確に捉えてハーモニーを構築していける力量も素晴らしいと感じた。

さらにこのデュエットを経験することで、相手の歌声に寄り添ってハーモニーを作り上げるということが、彼女達の新しいサウンドを開いて行くことになると感じた。

 

今回、彼女達が一段成熟したと感じるのは、こういう部分でのハーモニーの作り方なのかもしれない。

 

とにかく生リトグリは、本当に楽しかった。

気持ちの良いぐらい4人の歌声が広いホールに響いて、真っ直ぐに耳に届いてくる。

また機会があれば聴きに行きたいと思う世界だった。