ここのところ、この曲を聴く機会がなかったので、なんだか久しぶりに懐かしい思いがした。

ダンスパフォーマンスを紅白用に変えているとのこと。私はダンスに詳しくないので、どこがどう違っているのかの詳細まではわからない。ただ、感じたことは、リズムが立っている。ダンスが突き刺さるように縦の線が強調されているということ。体幹がしっかりしている彼の一面がダンスの縦の線が綺麗にリズムに乗ることによってよく現れていると感じた。

体幹がしっかりしているということは身体の軸がブレない。
軸がブレないということは、ブレスが乱れないということ。
だからどんなに激しいダンスを踊っても彼の歌にはブレス音が存在しない。

「踊りながら歌うという練習しかしていない」というのをどこかのインタビューで答えているのを記憶している。すなわち、ダンスと歌が一体化していて、どちらかだけ単独の練習をしていない、と答えていた。
彼の中ではあくまでも歌とダンスは一つのもので一体化している。同一のものという感覚なのだろう。
どちらかが欠けてもそれは不自然なもの、という感覚なのかもしれない。
バラードを歌う時ですら、彼のリズムはダンスのリズムを刻む。身体の中にダンスで培ったリズム感が刻み込まれている。
だから「片隅」のように歌だけのパフォーマンスであってもそこに躍動感を感じるのだろう。

久しぶりに聴いた「Blizzard」は躍動的で非常に綺麗だった。
そう……
彼のダンスは非常に綺麗だと感じる。それはバックダンサーとの一体感がそう感じさせるのかもしれない。

歌とダンスの一体感。
バックダンサーとの一体感。

やはり彼の音楽の世界は非常にバランスが取れた理路整然とした世界。
無駄が一切排除され、揺れのない世界。

そうあらためて思った。