長年、彼のファンである人からすればこのような記事を私が書くことは余りにもおこがましいのかも知れないが、年末の氷川きよしの歌を聴いて感じたことを書いてみようと思う。否、氷川きよしの歌というよりは、彼の歌手としての役割のようなものを感じた。

年末、恒例の番組が3つある。
レコード大賞、紅白、カウントダウンライブだ。
これらを私は全て観た。そこで感じ感じたことがいくつかあるが、その中の一つに氷川きよしの役割というものがある。
これは今までも「うたコン」を観て何度か感じたことのあることでもある。

最初に書いておきたいのは、私は演歌のカテゴリーに詳しくない。演歌は嫌いではないが好きでもない。ただ、演歌歌手の持つ歌唱力には一目置いているし、中には好きな歌手も当然いる。女性なら石川さゆりや坂本冬美、男性なら細川たかし。もちろん氷川きよしは好きな歌手の一人だった。
私がなぜこれらの人を好きかといえば、歌声に魅力を感じるからだ。石川さゆりの伸びのある声が好きだし、坂本冬美の少しハスキーな声も好きだ。そして彼女達の「ここ」という時の歌への魂の込め方も好きである。
細川たかしは、そのカーンと抜ける高音部の抜け感が昔から大好きだった。彼の歌にはイタリアのカンツォーネ歌手やオペラ歌手に共通する「歌」を感じる。
私も今も「歌科出身です」と言えば、よくも悪くも言われる「ああー、歌科ね!そうだと思ったわ」の「歌科」
彼らが言う「歌科」は、派手で何も複雑なことは考えない、とにかく歌えればいい、という単純な人種のことを言う。
この「歌科」特有の匂いを細川たかしからは感じるからだ。だから彼の歌には理屈はいらない、と今も思う。
そんな中で氷川きよしに対する長年の印象は、私の中では演歌っぽくない人、だった。
ほとんど紅白のステージでしか彼の姿を長年観てこなかった。そんな一年に一回しか出会わない彼の歌には、たった一回の出会いなのにいつも好感が持てた。それは彼がいつも楽しいパフォーマンスと共に歌を歌うからである。
彼のステージはいつも華やかで楽しかった。ポップな印象の演歌だった。
それが若さゆえにそう言う印象だと長年感じていたが、最近、そうでないことに気づいた。
彼は、ポップ演歌というカテゴリーを確立した人なのだということを。

最近、若い演歌歌手が歌う演歌は、どちらかと言えば軽い印象のものが多い。
いわゆる「ど演歌」というものは数が減ったように思う。
しかし、一昔前の演歌を考えてみると、もっとドロドロとした人間の情感を歌い上げているものが多かったように思う。
そこに演歌の魅力を感じる人も多いだろう。しかし、氷川きよしの場合はそういう印象を持たない。
もちろん彼の多くの楽曲の中には、ど演歌、と呼ばれるものもあるのかもしれない。私はファンでないから数多くの彼の楽曲を全て知っているわけでもなく、一部分しか見ていないのかもしれない。しかし、彼は例えば「男の花道」のような演歌の王道を行く楽曲であっても、なぜか彼が歌うと爽やかでドロドロとした情感よりも切なさを感じる。
これが氷川きよしの魅力なのではないかと思う。

この魅力は、彼が長年、演歌界に居ながら、ポップな演歌の楽曲に拘り続けた中で培ってきたJPOP気質のようなもの。それを大いに感じるのだ。だからこそ、彼が歌う演歌には、いわゆる演歌臭がしない。
どんなに「きよしのズンドコ節」を歌われても、それは演歌ではなくポップなのだ。だからこそ、デビュー曲にしてミリオンセラーを売り上げるほど、万人に受けたのではないかと思う。

彼は演歌歌手でありながら、最初から演歌というカテゴリーに縛られていなかった。
「演歌歌手というカテゴリーを外します」と彼は言ったが、最初から彼にはカテゴリーという考え方はなかったのだと思う。だから彼が歌えば、どんな演歌でもポップな匂いがした。
それがピアスだったり、茶髪だったり、という氷川きよしという歌手の総合アイテムであり、「演歌歌手らしくない」「演歌歌手なのに」と長年言われる所以だったのではないか。

もがきながらも彼なりにポップ演歌というジャンルを確立させた功績は大きい。
彼が先駆者となってその分野を歩いて行ったからこそ、その後に続く人間は当たり前のようにポップ演歌を歌う。
ハンサムでソフトでスタリッシュな若手の演歌歌手が彼の後に何人も誕生しているのは、皆、彼の背中を見て歩けるからに他ならない。そういう意味で彼が演歌界に与えた影響は大きい。

彼が演歌というカテゴリーを外し、自分のやりたかったジャンルに再挑戦する姿は、多くの演歌歌手に影響を与えている。
最近は、「うたコン」での企画も演歌歌手にジャンルに捉われない楽曲を要求することが多くなった。演歌歌手が他のジャンルを歌うとき、意外な魅力を発揮するのは基礎力の高さにあるが、物怖じしない人が多くなったのも確かなことである。すなわち、他のジャンルに挑戦するのを怖がらなくなっている。これらは彼がポップ演歌というジャンルを確立してきた成果が少なからず影響を与えていると考える。
そういう人達にとって彼が演歌の実力のもと、新しいジャンルに挑戦していく姿は、自分達の未来に大きな可能性を感じさせるものでもあるだろう。

氷川きよしという人がポップな演歌というカテゴリーを確立したからこそ、演歌界を牽引する役目を果たしたことは紛れもない事実である。
私は演歌界に詳しいわけでもなく演歌歌手のファンでもないが、年末の音楽番組を観ながら、氷川きよしの演歌界における役目は果たしたと感じた。
彼が次に挑む音楽のジャンルの中で、必ずポップ演歌の経験も音楽性も生かされ、さらに新しい音楽との融合によって彼にしかできない新しい役割が待ち受けているような気がした。

歌手という職業は、オリジナリティーの競争社会である。
いかに自分だけの色を出せるか、自分だけの世界を確立できるかにその全てがかかっていると言っても過言でない。
彼が新しいジャンルの世界でどのようなオリジナル色を確立できるのか。
それが新しい氷川きよしの挑戦でもあると思う。