三浦大知の新曲「Backwards」のTV初披露を観た。

ファンの人達が「待望の一曲」と言った意味がよくわかった。

あらためて彼のスキルの高さを感じずにはいられない一曲である。

 

私は歌声の分析が専門だから、ダンスのことはわからない。

お披露目の前に彼と一緒に踊っているシッキン(シットキングス)のメンバーがダンスの緩急の切替えと組み合わせについて話していたが、私は彼の呼吸に関しての新たな発見に驚愕している。

 

今回の歌の特徴は、ダンス面における緩急の振り付けの凄さとそれに合わせて歌えるということについての能力の高さが取り沙汰されているが、私が今回、一番感じたのは、彼の呼吸のコントロールの見事さだ。

これは単に呼吸が乱れないという表面的な賛美ではなく、私が感じたのはもっと奥深いところでの彼の呼吸の能力の高さだった。

 

この曲は全体的にアップテンポの曲だ。

ところが音符の譜割りに於いては、短いフレーズとロングトーンでの譜割りの2種類が用いられている。

例えば、この曲の構成は、大雑把に分けると、A、B、サビ、C、D、サビ、B、サビ、C、サビ、B、サビ

というふうにサビの前には必ずBメロが挟み込まれている。

このBメロというのが歌の譜割りが非常に曲者なのだ。

このBメロの歌詞というのは、

回想は持て余す…から始まる1フレーズなのだが、

届かず手放す世界の「世界」の部分。

次の1フレーズの

心が毛羽立つ気配の「気配」の部分。

このようにフレーズの最後のひと単語が高音のメロディー展開のロングトーンの譜割りになっている。

そしてそのあとのサビのフレーズのロングトーンに入っていくのだが、

ロングトーンの前のフレーズの譜割りは全て低い音の短い音節での力強い縦刻みの譜割りメロディーになっているのである。

ということは、どういうことかと言えば、

低音でチェストボイスで胸に響かせて下向きに刻んでいた音を、いきなり高音に持って上がり、ロングトーンで歌わなければならないという作りになっているのである。

それも刻みの激しいダンスをしながら、ブレスを短く刻んできていきなりロングボイスの高音を出すということになる。

それは、ブレスの譜割りして、短く切ったフレーズを歌いながら早い呼吸で縦刻みのフレーズを歌い、そこでブレスを使い切らないで、少しずつ体内に溜めておいた息を使ってノンブレスで高音に持って上がる、というテクニックが必要になる。それも非常にアップテンポの中で、この呼吸法を繰り返し使いながら、短いセンテンスとロングトーンを歌い分けていくことになるのである。

これは普通の人なら、フレーズの最後はブレスを使い切っており、高音にノンブレスで持って上がるということは出来ない。

このフレーズの最後の言葉の一音節がロングトーンで譜割りされているのを呼吸を乱さずに歌い切れる人は、三浦大知以外いない。

 

彼が体幹がしっかりしており、どんなに激しいダンスを踊りながらでもブレスが乱れることなく歌えるというのは、もう当たり前の感覚であるかのように思えてしまうが、彼の場合、さらにその上の声帯のコントロールが並外れた能力の持ち主であることを証明している。

即ち、どんなにダンスの上で緩急が行われても、呼吸は乱れず、さらにその呼吸は歌声を完全にコントロール出来るだけでなく、どんなフレーズの展開が来ても、歌いこなせるということを体現しているのである。

早いブレスの後に高音のロングトーンが来ることほど、歌手にとって難しいことはない。

これは、歌声のコントロールとブレスのコントロールを要求されるからで、支えが低音と高音を出す場合、短いフレーズとロングトーンを歌う場合には、全く正反対の使い方をしなければいけないということから、非常に至難の技になるのである。

動かず歌うだけでも、これらのコントロールは非常に難しい上に、彼の場合はダンスをしながらになる。

彼の意識がダンスと歌のコントロールの二通りを常に要求されていることになり、ダンスの緩急と歌声の緩急、さらに音程の高低という3つの事柄を同時にこなさなければ、成り立たない世界であるということが、この曲の非常に高度な部分であるということをあらためて感じた。

 

三浦大知という人の身体的能力が、ダンスだけではなく、歌唱力に於いても飛び抜けたものを持つということをあらためて認識したのである。

ここまでの能力を持つには、日々の鍛錬によって体幹の感覚を養うことが必要であり、感覚がバラバラで意識がバラバラのうちは決して踊りながら歌いこなす事はできない。

 

「Backwards」は、ダンス力の非常に高い楽曲であると同時に、非常に高い歌唱力の一曲でもあることをあらためて感じた。