リトグリの新曲は世界的ボーカルグループ、ペンタトニックスとのフィーチャーによるもの。

声だけで構成されたという楽曲は、アカペラとは思えないほどの迫力と重厚なハーモニーだ。

 

リトグリもペンタトニックスも、グループの特徴として重厚感のあるハーモニーが持ち味だ。

何層にも重なり合う声、声、声。

この重厚感あるハーモニーが作り出せるのは、正確なピッチ(音程)と正確な耳によるハーモニーを作り出す感覚。

 

10人それぞれが正確なピッチが取れなければ、綺麗なハーモニーは生まれない。

正確なピッチとは、それぞれが音程の中心を把握できるかどうかだ。

 

音には幅がある。

その幅の上側を取るのか下側を取るのか、それとも中心を取るのか。

これが一人でも違う場所を取れば、正確なハーモニーは生まれない。

音に幅があるように音の重なりによって作り出される音程にも幅がある。

例えば、正確な3度の音程を作り出そうとするなら、ドの音の中心を取る人と下側を取る人とでは、同じ音でも幅が出来る。その上にミの音を重ねるとき、ドの中心を取った人の上にミの上側を取った人の音が重なれば、もうそれは正確な3度の音程にはならない。なぜなら、ドの中心音とミの上側の音との間には、正確には3度以上の音程の幅が生まれるからだ。正確な3度の音程を作るなら、ミの音も中心を取って初めて正確な3度の音程が生まれる。

 

また自分の音が他の音とどのような距離感を持っているか、もし、距離感が違うなら、瞬時に調整出来るだけの聴力を個々人が持っていなければならない。誰か一人でもその距離感が違えば、正確なハーモニーに濁りが生まれる。

自分の音を聴きながら、他との音の距離、ハーモニーを判別出来るだけの聴力が必要だ。それは音の中での感覚をどれだけ持っているかによる。

正確なハーモニーを作り出せる人は、この感覚が素晴らしい。他人の音を聴いて、その距離感を瞬時に測り、自分の音を決めて行く。この感覚が優れていなければ、正確なハーモニーを生み出すことは出来ないからだ。

 

このように、たった2人でハーモニーを作るだけでも、それぞれの音程の取り方が異なれば差異が生まれる。

ましてや10人が同時にハーモニーを作れば、どのようなことになるかは推して知るべきだ。

 

しかし、リトグリとペンタトニックスのハーモニーは完璧だった。

どのフレーズのハーモニーも一切の狂いがなく、綺麗に音程の幅の中に治って行く。

見事だとしか言いようがない。

 

グラミー賞を取った世界的ボーカルグループであるペンタトニックスが安心してハーモニーを作れる相手が、リトグリだという証明である。だからこそ、今回のフィーチャリングが実現したのだ。

 

人間の声の重なりの重厚感が素晴らしい。

男性の声と女性の声が重なり合って、なんとも言えないハーモニーの世界、音色の世界を作り出している。

 

久しぶりに心地よいハーモニーの世界を聴いた。

リトグリのハーモニーは世界に通用することを証明した一曲だ。