シンガーソングライター山根康弘の1993年のデビュー曲。

当時、大ヒットした曲だが、私は子育て真っ最中。さらにクラシック業界で仕事していて、ほぼ記憶がない。

氷川きよしの歌い出しを聴いて、どことなく聴いたことがあるような気がした。

 

この曲の構成は実に単純だ。

A、B、サビ。

この繰り返しである。

当然、歌い出しのAメロは、静かに始まる。

 

この曲を歌う氷川きよしの歌を聴いて、昨日、レビューした「雪の華」での印象に間違いがなかったとあらためて思った。

上手くなった。

ポップス歌手として課題だった点を彼は見事にクリアしてきている。

そう思った。

きっと彼の中で、「響きを抜く」という感覚がわかったのだと思う。

 

この曲の歌い出し、Aメロのフレーズは低音部から始まるが、ここで彼は響きだけで歌を歌っている。

即ち、響きだけを喉の中で固定し、音楽の流れの中で言葉を処理しているのである。

それはフレーズの最後の「愛している」の言葉によく現れている。

従来の彼なら、この部分は言葉の最後の文字まできっちり声に出して歌っていたはずだ。しかし、この歌で、彼はこの部分の言葉を非常に曖昧に口の中で処理し、響きだけを残している。

この歌い方は、ポップスの定番であり、このように「響きを抜く」ということが、ポップスとは正反対の演歌を歌っていた人間にとって、最も感覚の違うところであり、難しい部分でもある。

演歌の人間にとっては、「響きを抜いて歌う」という行為は、非常に不安定で、曖昧であり、なんだか物足りない感覚を持つものでもある。

しかし、ポップスにおいて、フレーズの最後の言葉の響きを抜いて歌うのは、定石であり、これが出来なければ一人前とは言えないほど、重要なテクニックでもあるのだ。

この正反対の感覚を養うのに、氷川きよしは非常に努力したのだと思う。

 

演歌からポップスへ転向するというのは、単に歌のジャンルが変わるということだけではなく、声の出し方、響きの張り、抜き方など、テクニックの面で、今までの感覚を全て捨て去り、自分の中に新しい感覚を作り替える作業が必要になる。

この感覚を作り替える作業に流石に一年近くかかったということなのだろう。

 

この曲の色彩は、A、B、サビ→淡、濃、濃である。

Aメロで徹底的に色彩を削ぎ落とし、淡色に作り上げた響きを、Bメロでやや色を与え、サビに近づくにつれて、張りのある濃い色彩に変わっていく。

この色彩表現が見事だった。

 

氷川きよしは、誰がどこから見ても、ポップス歌手になったのだと思った。

 

歌い始める前、歩いてステージのセンターに出てくる姿に、以前の演歌の彼のステップはなかった。

そこには、堂々とポップス歌手として、歩みを続ける自信に満ち溢れていた。

「非常に緊張した」と言って、彼は汗だくの掌を見せたが、緊張は、彼が自分の歌を表現することに自信を持っているからで、聴衆がどのように受けとめるかという反応に対する緊張感だったように思う。

 

緊張する、という行為が、歌手を成長させる。

 

氷川きよしは、間違いなく進化し続けている。