「The Covers fes.」「レコード大賞2020」

この2つの番組で氷川きよしの持つ歌手としての原点を見た気がした。

 

「The Covers」の「白い衝動」は素晴らしいの一言に尽きる。

この曲に於いて、彼はロック歌手として完成されたと思った。

「限界突破✖️サバイバー」を歌う彼は、派手なパフォーマンスにある意味助けられていた。

確かに豊かな声量と歌唱力は、氷川きよしがロックの分野でも十分通用する歌手であることを示していたと思う。

しかし、そこには、まだ着慣れない、新しい服に袖を通したばかりのぎこちなさが漂っていた。

新しい服が身体に馴染むには時間がかかる。

その時間を経て、身に纏った「白い衝動」には、その着心地の悪さがどこにも感じられなかった。

気負いがない。

ロックを歌うことがすっかり自然で、気負いも迷いもない完成された姿があった。

氷川きよしは、すっかりポップス歌手になったのだと思った。

 

その氷川きよしが、レコ大の優秀作品賞を受賞したのは、先日亡くなった、なかにし礼が作詞した「母」

この曲は、今年2月に発売されたもので、なかにし礼最後の曲と言われている。

この曲を彼がどう歌うのか、非常に興味があった。

なぜなら、「白い衝動」での彼の歌は、どこから見てもポップス系の表現の完成形だったからだ。

彼は、今年の歌の主体をポップス系に置いて活動している。ほぼ一年を通して、ポップスの歌を主流に歌い続けた結果が、「白い衝動」や先日のカバー曲「雪の華」に見られる表現力の進化だ。

だから、2月にこの曲が発売されたときの彼と、現在の彼とでは、表現の種類に於いて大きく乖離している。

だが、一方では、ファンの言うように、氷川きよしは演歌を歌う時には、演歌の歌手に戻るのかもしれない。当然、多くのファンが望む「演歌歌手氷川きよし」は健在なのである。

だから彼がどのように歌うのか、非常に興味があった。

 

「離れていても」から始まる高音の張りのある歌声は、確実に演歌の歌声なのだ。どんなに彼が「演歌歌手のカテゴリーを外す」と言っても、そこには、やはり耳に馴染んだ彼の演歌の歌声があった。

響きの当たりといい、声の張り方といい、スコーンと鼻に抜ける、あの独特の氷川きよしの歌声なのである。それがMVには収録されている。だから、当然そのような歌声を期待していた。

 

しかし、レコ大での「母」の歌は、その第一声から大きく違った。

確かに張りのある歌声で始まった。

しかし、演歌の時のように鼻に抜けるカーンとした響きではなかった、

もっと混濁した、響きに深みのある歌声に変わっていたのである。

さらにそれに続く「そばにいてくれる」のフレーズでは、完全に響きを抜いてきた。

そう、この響きを抜いた歌声というのは、彼がポップスを歌うことで身につけた歌声でもある。

「母」は、Aメロで、この張りのある歌声と響きの抜いた歌声が交互に出てくる構成になっている。

2月の時点の歌声では、彼の「母」はもっと明るい色調に彩られていた。

張りのある歌声とその後に続くフレーズは確かに音量は下がるが、響きを抜いた色彩ではなかった。

それは演歌調の色彩が濃いものだったように感じる。

しかし今回のレコ大での「母」は、完全に演歌の色彩から、ポップスの色彩へと歌声が変貌していた。

ただ明るく張りのあるカーンとした歌声から、響きに厚みのある深い混濁した張りのある歌声に変貌していたのである。

ここに、彼がポップスを歌うことによって、表現力に深みが加わり、かつての楽曲の色彩にも微妙な変化を遂げているのだということを感じる。

 

今回の「母」を彼は「命の限り、大切に歌わせて頂く」と話した。

 

その言葉通り、彼の歌には、なんとも言えない鋭さがあった。

それは、歌に対する彼の姿勢。

静かで一切の妥協を自分に許さない厳しさを感じさせた。

 

氷川きよしは、歌に命を懸けている。

そこに歌手としての原点を見た気がした。