三浦大知の新曲「I’m Here」を聴いた。
ダンスナンバー。軽快な曲調。後半には畳み掛けるようなテンポ感の中で彼の歌と踊りが時折、静止画像のように展開される。
メロディーラインは彼が最も出しやすい中音域を中心に作られ、ときおりファルセットが顔を出す。

彼はフェイスボイスなのかどうなのかという問い合わせを以前から受けているが、私の見解として確かに中音域から高音域にかけての部分でフェイスボイスになっていると思われる。しかし、全体がそうなのかと言われるとそうは言い切れない。彼のファルセットはいい時とそうでない時のバロメーターになる程、その日によって状態が変わる。
もし、彼が全体的フェイスボイスの持ち主であるなら、ファルセットの状態はもう少し安定的になると思われる。これは彼だけでなく、多くの歌手に見られる兆候であり、以前の森山直太郎にも当てはまる(最近、久しぶりに聴いた彼の「さくら」ではこの部分が非常に安定している。かなりあたりのいいフェイスボイスになっていると感じた)

この日、彼のファルセットは抜けが悪かった。
紅白の長時間のリハーサルと本番をこなし、夜中の2時台に歌を歌うなどという過酷な状況の中で身体は疲れ切っているだろうし、声帯も当然疲労している。
それでもあれだけの安定した歌とパフォーマンスを披露できるのは彼だからこそ、と言える。
だから今回の歌声でフェイスボイス云々を言うことは出来ない。ただ、彼の歌で私が気になる点はただ一点、ファルセットだけである。
ファルセットは練習することでヘッドボイスへの転換も出来る。それにはフェイスボイスのポジションをそのままファルセットを歌うときに用いることになる。その為には、中・低音域のポジションをもう少し前に持っていく必要があると感じるが、ダンスを踊りながらの状況でのポジショニングは非常に難しい。反対に言えば、それほど難しいことを彼はやってのけている、と言うことにもなる。
三浦大知のR&Bは、ちょっと踊りながら歌っている、という域を超えている。ダンスはダンス単独で十分成り立つレベルのものであり、歌は歌だけで十分成り立つレベルのものだ。それを同時にこなす中でなおかつフェイスボイスのポジションを取っていくことは非常に困難なことでもある。エアーの流れに歌声を乗せるという基本的なフェイスボイスのポジショニングですら、難しいものであるに違いないからだ。

「I’m Here」はどうだろう。
私から見ると、ずいぶんダンスに重きを置いた楽曲に感じられた。
そういう曲の場合は、今のポジショニングで十分なのではないかと思う。
また、歌い込むことでポジショニングは変化してくる。
彼はこの曲を引っさげて約半年のホールツアーだ。
丁寧に歌いこんでいくことで、もっと違った音色の楽曲になっていくかもしれない。

何にしても歌手は音楽とどれだけ向き合ったか。歌とどれだけ向き合えたか、それが勝負になる。
歌手が音楽だけに没頭できる、音楽だけを考えることができる環境にいることが先ずは第一だ。

三浦大知の歌を聴きながら、そんな思いに囚われた。