「The Answer」の歌声

「今までの歌声は、捨て去った」と彼に言わせるほど、彼の中で変わってしまった歌声というのは、一体どういう歌声だったのだろうか、と思った。

 

「Delete My Memories 」までの三浦大知の歌声の特徴は、高音部は、トーンが明るく直線的、中・低音部は、ややソフトヴォイスな響きになる。しかし、目立ったビブラートが或るわけではない。

また、歌い方として、高音部になると突き上げるような歌い方になるところが多い。それでも喉の奥が開いている為、聴いている方としては、それほど苦しい感じは持たない。ただ、下から突き上げる歌い方をする為に、伸びを欠いたものになりやすい。これは、この時点での彼の音域の中で、実際に歌声として使用出来る音域の限界が、歌のメロディーの高音部に近い事を示している。

また、ロングヴォイスになると、響きが堅くなる傾向が見られる。

全体的な歌声の色調は、細く綺麗な歌声という印象を持つ。

 

彼が「捨て去った」という歌声は、決して悪いものではない。

決して、彼の歌が、この時点でマズイわけではないのだ。この歌声でも十分やっていける。十分、上手い。

しかし、三浦大知が、目指すものに到達するには、この歌声では駄目だったのだろう。

彼自身の中で、納得出来ていなかった…

そういうことなのだと思う。

参考音源 → Delete My Memories

 

「ああ、これが本当の自分の歌声なんだ、と思って。今までとは、全く違った声が出たんです」と言った歌声。

 

そのきっかけは、2010年8月に発売された「The Answer」にある。

前作「Delete My Memories 」から「The Answer」発売まで1年3ヶ月のブランクがある。

この間に、彼は新しいヴォイストレーナーの元で、発声を一からやり直している。

「それが、君の本来の歌声なんだ」とトレーナーに言われた歌声を完全に自分のものにするまでに、彼はどれほどの努力をしたのだろうか、と思う。

 

新しい声を作る作業は、並大抵ではない。

すべての作業を一からやり直すのに等しい。

「今までの歌声を捨て去る」と簡単に言うほど、それは生易しい作業ではないはずだ。

長年、慣れ親しんできた発声の仕方は、身体の隅々にまで染み付いていて、そう簡単に捨てれるものではない。頭でわかっていても、身体が反応しないのだ。

 

声帯は、感覚の楽器で、声を出すのに必要な筋肉を自分の思い通りに動かす感覚を養うところから始まる。

 

「歌う」のに使う腹筋は、いわゆる運動で言うところの腹筋とは、全く別の場所にあり、横隔膜を下げ広げて、背筋の部分に空洞を作り、その部分に空気を送り込むことで、歌に必要な安定したブレスを供給する。

そういうテクニックを身につけるのは、実際には、自分の身体の内部の目に見えない部分を動かすのだから、すべては、感覚の作業になる。最初は、その場所が一体自分の身体のどこにあるのかもわからず、それがわかっても、筋肉を動かすことなど出来ない。

歌に使用する筋肉は、深い場所にあるものが多く、どんなに動かそうとしても、今まで使ったことのない筋肉を動かすことなど出来ない。それでも人間の身体は不思議なもので、何度も何度も感覚として、その場所にあるものを動かそうとしているとやがて動き出す。動かすことが出来るようになるのだ。しかし、それには、非常な努力と根気が必要とされる。

 

「背筋を動かして、下に引っ張れ」と言われて、実際に背筋が動かせる人がどれぐらいいるだろうか。

そんな部分から、歌を勉強するということは始まる。

そうやって身に付けてきた感覚というものは、自分の身体の奧深くに染みついていて、そう簡単に変えれるものではない。

 

「声を変える」「発声を変える」という作業は、そうやって身につけてきたものを捨て去って、新しい感覚を一から、身につける作業になるのだ。

そこには、来る日も来る日も繰り返し練習をして、その感覚を身体に覚えさせることから始めなければならない。

デビューして何年も歌い続けてきた歌手にとっては、それは並大抵の事ではない。さらに一度や二度、上手く声が出たからと言って、それがすぐに楽曲に使えるかと言えば、必ずしもそうではない。

発声では上手く声が出るのに、楽曲を歌った途端に、上手く声が出せない。元の歌声に戻ってしまう、ということはありがちな事なのだ。そうなれば、また、そこから繰り返しの練習が始まる。

 

すぐには、声は変わらない。

何年もかかって声を作り替える歌手もいる。しかし、そこには、それだけの時間と労力を懸けても、手に入れるだけのものがあるとも言える。

 

三浦大知も、新しい声を手に入れ、それを完全に自分のものにし、楽曲で使いこなせるようになるまでは、時間がかかったはずだ。それが、1年3ヶ月のブランクなのかもしれない。そうやって手に入れた彼の歌声は、どんな風に変化したのだろうか…

 

「The Answer」を聴いてみた。

音源→The Answer

 

一番大きく変わった点は、声域が広がったということだ。

明らかに高音部には、伸びが出て、以前より高音を難なく出せるようになった。さらに中・低音部は、響きが深くなり、使える声の種類が増えている。

声は、単に出せれば、歌に使えるのではない。歌に使うには、それだけの響きや伸びを持たなくては、歌声としては使えない。単に出るだけなら、それは、歌声ではなく、音として存在しているだけになる。

 

三浦大知の歌声は、高音部が広がり、中・低音部の響きに幅が出て、深くなった。そうなることで、パワフルで、幅の広い歌声へと生まれ変わったと言えるだろう。響きに安定感が出て、どのような声域のフレーズでも歌いこなせる歌声に生まれ変わったのだ。

どのようなフレーズでも歌いこなせる歌声を身につけることは、言い換えれば、どんなジャンルの歌でも歌いこなすことが出来る歌声になったということでもある。

 

この歌声を手に入れたことで、三浦大知の音楽の世界は格段に広がったはずだ。

今まで歌手として挑戦したことのないジャンルでも歌うことが出来るようになったのだ。

それは、R&Bの旗手としての三浦大知から、アーティストへの変換であり、表現者三浦大知への一歩の始まりだったのかもしれない。

「The Answer」以降、彼の中では、どんな楽曲でもどんなジャンルのものでも、自分の色に染め上げて歌いこなせる、という歌手としての揺るぎない自信が身についたに違いない。

 

「The Answer」から、8年。

三浦大知の歌手としての可能性は、大きく広がっている。