期せずして2組の「レイニーブルー」を聴くことが出来た。
1組は徳永本人と三浦大知、秦基博。
もう1組はジェジュンと城田優。
同じ曲を扱っているのにこの2つは対称的な世界を見せた。
一言で書くなら「剛」と「柔」
そう思った。
徳永本人を含む3人の音楽が作り出した「レイニーブルー」は非常にストレートで男性的な世界だ。
徳永の歌声を中心に据え邪念のない世界。非常にストレートであっさりとした世界を作り出した。
そこには曲に対する3人の客観性や距離感が冷静な音楽の世界を作り上げている。
徳永英明の声は甘い独特の音色だが刹那感はない。甘い音色の割りに作り出す音楽は男性的で直線的だ。ストレートで分かりやすい。邪念のない音楽は縦のリズムが強調され、小気味よく音楽を前へ押し出していく。
三浦大知はいつも非常に冷静な音楽を作り出す。それは何度も書くようにこの人の客観性とバランスの取れた感覚。このバランス感覚はダンスで養われた感覚がそのまま音楽の世界にも現れている。その為にどんな楽曲が来ても一呼吸置いた彼独特のリズム感を持つ。これが徳永と秦の2つの声を繋げる役割を果たしている。ストレートで邪念のない音楽だ。
秦基博の声は太く男性的である。ストレートな力強い音質はそれだけでこの人の音楽が端的で混濁のない世界であることを伝える。この男性的な声が他の二人の声をしっかりと下支えして、ガッシリとした地に足のついた骨太の「レイニーブルー」の世界を作り上げている。
彼ら3人の「レイニーブルー」は非常にオーソドックスな作りの揺るぎない強さを持つ音楽の世界だ。
これに対し、ジェジュンと城田優の「レイニーブルー」は全く違った色彩を見せる。
ジェジュンの甘いソフトな歌声は非常に刹那的で複雑だ。音色が単一でなく母音によって色彩が変わる。それゆえ、この人の音楽の世界もストレートではなく様々な色合いを見せる。混濁した音の世界だ。
この歌声に対し、城田優の歌声はストレートでありながら非常に柔らかい幅の響きを持つ。色彩は無色から単色に変わっていく中で濃淡がハッキリと出る。しかし、その音楽の世界は非常に柔らかな曲線を描く。どんな音質の相手に対しても合わせていく柔軟性は彼ならではの持ち味だ。
この二人が作りだした「レイニーブルー」の世界は非常に甘く優しく柔らかな世界だ。
曲線的に音楽が揺れ動く。縦のリズムよりもなだらかな音のレガートな運びが強調された世界だ。甘く優しい2つの音色の一体感が「レイニーブルー」の持つ刹那感を現していく。
歌い手の持つ音楽の質感によって、楽曲は大きく変わっていく。
「レイニーブルー」は中島みゆきの「糸」や尾崎豊の「I Love You」同様、非常に多くの歌手がカバーしている名曲だ。
歌手の音楽性が現れやすい曲でもある。
カバー曲の場合、一番ありがちなのは、オリジナルの歌い方をそのまま踏襲するやり方だ。
オリジナルの歌手の音楽性の上にそのまま自分の声を載せていく。表現や曲調もオリジナル通りの歌い方をする場合だ。一番オーソドックスで批判のない音楽の作り方になる。自分の音楽の世界が確立できていない、もしくは自分の音楽に自信が持てない歌手にありがちなパフォーマンスだ。
これに対し、自分の音楽の世界が確立されている歌手の場合は、オリジナルの世界を尊重しながらも必ず自分流の解釈をしてくる。それが仮にオリジナルから遠くかけ離れた世界になっても自分の色に染めてくる。
そういう場合、歌手はその楽曲を真正面から一つの楽曲として捉えている場合が多い。この場合、オリジナル歌手の持つイメージに引きずられることなく、単に楽曲として自分がどのように表現するのかという点に重きを置いている。
彼ら5人の「レイニーブルー」を聴くと、オリジナルのイメージを大切にしながらも、自分の解釈による音楽性をそれぞれに発揮した音楽の世界だったと言える。
だからこそ、3人の世界は「レイニーブルー」の男性的で端的でストレートな力強くあっさりとしたハーモニー音楽の世界を構築してきたし、2人の世界は、「レイニーブルー」の持つ柔軟で曲線的な音楽の世界を描いてきたと言える。
同じ曲であっても、歌い手の音楽性と方向性でどのような色合いにも染め抜かれていく「レイニーブルー」は楽曲として非常に優れたものであると言えるだろう。
今回の2組のパフォーマンスは、「レイニーブルー」という楽曲が、3人の立体的なハーモニーの構造物を作り出す手法と平面的で幅広い深さを現した2人の世界との対称的な音楽のどちらに料理されてもビクともしない構造物としての優秀さを持っていることを証明している。
どんな歌手にどのように料理されても楽曲の持つ芯の部分は揺らがない。
これがしっかりとした構造物の音楽であることの証明でもある。
だから多くの歌手が歌いたがる。どんなに自分流の色を加えても、「レイニーブルー」はその音楽に染めぬかれる柔軟性を持つ。
楽曲としての懐が深く、歌手を遮断しない。どのようなアレンジも受け入れ消化し、音楽という建造物h揺るがない。
その強さと柔軟性を持つ優秀な作品であることを今回の2組のパフォーマンスで証明している。
徳永本人が作曲したこの曲は、彼の作曲家としての優秀さを示すものでもある。