セルフカバーアルバムの中の一曲。

若い頃の歌声に比べると現在は、少し全体的にハスキーさが増していると言える。しかし、その分、透明感が増してブレス音によって幅が拡がった。若い頃の声の勢いに任せて歌う方法から、一言一言を丁寧に紡いで自分に言い聞かせるように歌う手法に変わっている。

昔の自分の曲をセルフカバーするのは、簡単なようで歌手にとっては難しい一面を抱えている。

それはセルフカバーすることで多くの人が抱いている曲そのもののイメージを壊すことになる恐れもあるからだ。

リスナーは皆、曲のメロディーと共にその歌声を覚えている。

楽曲のメロディーと歌声。

この二つが合わさって歌を覚えているものだ。その為、何十年も経ってから、昔の歌をその歌手が歌うとイメージが壊れることがある。それはひとえに楽曲と共に歌声そのものを記憶しているからに他ならない。

そういう点で過去の自分の楽曲をカバーするというのは、ある意味危険な作業でもある。例えば若い頃の歌声のイメージが強すぎるために年齢を重ねた歌声の変化にリスナーが失望する危険性もなくはない。

しかし、歌声は進化する。また、歌手はその人間的成熟度に従って歌そのものや歌声に深みを増す事が多い。その為、現在の歌声で昔の歌を聴いてみたいという欲求がリスナーの中に芽生えるのも確かな事だ。

確かに若い伸びやかな歌声は魅力的だ。しかし、年月をかけて歌い込んできた人間の声というものも非常に魅力的で、現在の歌声の方が好まれる場合も多い。

歌手は自分の歌声の変化を常に向き合いながら、声だけではない内面の表現力によって、楽曲をさらに魅力的なものにすることが出来る。

進化していく歌声と昔のままの歌声。

この二面性をうまく組み合わせながら、歌うことによって新しい魅力的な楽曲に生まれ変わらせることが出来るのも歌手なのだ。

そういう意味からすると、徳永英明の今回のアルバムは、多くの歌手のヒントになる一枚と言えるかもしれない。

病気を抱えて歌い続けることは容易なことではない。

しかし、その中で最善を尽くし、今の歌声を残すことは歌手としての歩みに必要なことでもある。

セルフカバーアルバムは、歌手徳永英明にとっても、ファンにとってもそういう意味で大切な一枚になるに違いない。