一番最後に追加レビューを掲載しています。

 

ジェジュンの3枚目のシングル「Ray of Light」が音源解禁された。

この曲は年末のCDTV年越しライブの中でショートバージョンを彼が歌っているのを聴いただけだった。その時は彼が実際にスタジオで歌っている歌。

このTVを通して聴く歌は音声的に正確に伝えているとは言い切れない。例えば、年始に放送された「朝日ドリームフェスティバル」の音声と普段聴く音楽番組の音声とでは格段の違いがあるように音声機器の媒体によってもこちら側に聴こえてくるものは違ってくる。

それでレビューを書く時はなるべくイヤフォンをつけて直接音源を聴くようにしている。

以前からイヤフォンで音源を聴いていたが、最近はAppleのエアーポッドプロを用いている。

エアーポッドプロの秀逸性は語り尽くされていてここで私があえて書く必要もないが、一切の雑音を排除するように作られているため、非常に音声がクリアであり、音そのものに集中できる点で「音」を聴くのに優れていると感じる。

 

「Ray of Light」は今までの彼の曲の中では一番馴染みやすい曲なのではないかと思う。サビのメロディーが単純で覚えやすく中毒性があり、誰もが簡単に口ずさめる。

 

冒頭は中・低音域の優しく甘い歌声から始まっている。少し混濁した響きの音が並ぶ。音色が濃く透明性は感じられない。

中盤からサビにかけてのクライマックスでメロディーラインは高音部へと差し掛かるにつれて歌声がエネルギッシュでシャウト気味の音色になる。畳み掛けるようにリズムが動き言葉数も多い。彼の言葉の処理は明確で適切である。

非常にドラマティックなサビの展開部分のフレーズの歌声の最後の部分は断ち切りになり、断面の響きは混濁している。また、そのまま流れていくエンディングの語り部分の歌声の音色も印象は変わらない。全体的に色の濃い歌声であり響きが混濁している。

 

 

この歌の音声を聴きながら非常に気になったのは、所々で鼻風邪気味、または鼻の不調を感じるような音色があることで、それは母音の「あ」の言葉で顕著になる。

これが実際に風邪をひいていたのか、それとも一年中、このような状態なのかはわからない。

ただ全体的に鼻への響きの抜けが悪いと感じる。それが最近の高音部の響きの違和感に繋がっているように感じる。

 

 

前記事で彼の現在の歌声を過去の韓国語の歌と比較検証したが、今回は日本語の過去の歌声と検証してみた。

検証したのは、東方神起時代の後期の歌声(後期に彼の歌声は完成されている)「 Bolero」「踊る夏 With All My Heart」「時ヲ止めて」

またJJY時代の「いつだって君を」

そして韓国時代に歌ったJPOP曲「君のそばに」「最後の雨」

これらの曲を聴き比べて、彼の声がいつ頃から今のような発声になったのか、今のような音色になったのかを注意深く聴いてみた

 

 

東方神起時代の歌声は全ての声域でフロントボイスのポジションが取られていた。

即ち、声の響きが顔の前面にあり、ポジションが上唇から鼻腔にかけての場所にある。そこからフロントボイスの響きである眉間にブレスを通していく方法で発声されていたと思われる。そのため彼の歌声は低音域ではかすれることなく綺麗な響きが存在し、中音域では鼻腔に当たって濃厚なになり、高音域ではエアー(空気)の流れに乗ってどこまでも伸びやかな発声ができていたと思われる。

この時代の高音部にはシャウト気味の歌声は殆どなく、その声が存在する場合でも、彼が意図的に使っていたのであって、空気の流れに声帯が耐えられなくなりシャウトしてしまう今の高音部の断面とは明らかに違っている。シャウトされた声であっても今のように断面に響きの混濁は見られない。

この流れのままで歌ったJJY時代の「いつだって君に」は、東方神起時代よりもハイトーンボイスだが、当然綺麗な響きをしていて特に曲の冒頭の歌声は細く伸びやかな声をしている。

 

これに対し2013年6月に開催された横アリでのソロミニコンサートでの楽曲はどれも既にポジション的に全く異なったものになっている。

中・低音域では、まだフロントボイスのポジションの名残りが感じられるが、高音部では全くポジションは異なる。デビュー当初のポジションと同じ、喉にあると感じる。

 

 

日本での活動の間、フロントボイスを身につけ歌い続けた5年間で彼の音域は飛躍的に伸びた。

これはフロントボイスの特徴でどんな人でも身につければ3オクターブは確実に出すことが出来る。また歌声のポジションはどの聖域でも変わらない為に非常に安定した伸びやかで若い歌声を保つことが出来る。

 

この時点での彼の声帯の伸縮はおそらく非常に薄く上下に伸縮していたと思われる。

これはエアーの流れを受けることと顔の前面にポジションを取ることで、声帯や周りの筋肉に余計な負荷がかからず反応が非常に軽かったからだ。

それに対し、2013年の楽曲の歌声では既にポジションが顔の奥に引っ込んでいる為にエアーの流れが悪くなり、高音部では頭頂部の後ろに響きを当てるベルカント唱法に近い発声法になっている。

響きが抜けず、エアーが身体の内部に留まった状態になる。声帯そのものが分厚く伸縮する為、上下の伸縮が悪くなり反応が重くなる。高音部が出しにくい状態となるが力でブレスを押し切る形になる。高音部のフレーズの最後はシャウト気味の歌声になり歌声の断面の響きが混濁する。

これは日本での活動がなくなり、歌う機会も激減したことによる感覚のズレが彼の中に生じていることによって起きとた私は感じる。

フロントボイス唱法の歌手は日本では少なく、ほとんどの歌手はベルカント、またはそれに類似した歌唱法を取っている。その為に年齢を重ねるごとに声が出にくくなる。また響きが重くなる。しかし、それは以前の記事にも書いたように母語が日本語であることが大きく、日本人が歌う場合、どうしてもそうなりやすい。

 

 

彼がフロントボイスのトレーニングを受けたかどうかは定かではない。

 

「元々持っている歌声よりも細くしたほうが日本人好みの声になる、と言われて声を作り替えた」と言っているだけである。

声を作り替える期間、彼は三浦大知のように活動を休止したわけではなく活動を継続していた。

 

あの頃はほぼ2ヶ月に1枚のサイクルで新曲を発売している。

となれば、レコーディングが終わった途端に次のレコーディングが始まるというサイクルであり、当然十分な練習時間などは確保できなかったはずだ。

「活動が練習だった」という発言を裏付けているかもしれない。

 

練習云々よりも大きく作用したのは、韓国語と日本語の言語の違いであり、韓国人だった彼は元々上唇を使って話していた為に、韓国語のポジションのままで日本語の発音をし、日本語の「あ」「お」の母音の言葉だけ喉の奥を広く開ける歌い方の多用によってフロントボイスになっていったのではないかと感じる。

 

そうやって彼の歌声は東方神起時代は見事なフロントボイスだったのだ。

 

しかし、韓国語を話し歌う生活の中で、徐々にフロントボイスの感覚を忘れていったと思われる。

その為、日本語の歌を歌っても本人的には以前と同じように歌っているつもりがポジションが落ちてしまっている為、かつてのような歌声にならない。

それが今の状態だと私は感じる。

 

今回のこの新曲もポジションは完全に喉に落ちている。

声帯が分厚く伸縮している為に高音部の反応が悪くなり、力で押さなければ高音が歌えない状態になっていると感じる。

3枚のシングルはどれも高音部の響きが混濁、シャウト気味の歌声になっている。

 

 

今の歌声がいい、と思う人もいるだろう。

かつての歌声を知らなければ、これはこれで魅力的な歌声と言えるからだ。

ジェジュン自身もこの歌声でいいと思っているかもしれない。

 

しかし私は今の発声を続ければ、彼は声帯を傷めるかもしれない、いや、もうすでに傷めているかも知れないという危惧を持つ。

彼が何を選んで何を歌っていくのかは彼が決めることである。

 

 

かつて彼の歌声を聴いた時、この発声をしている限り故障とは無縁だと思った。しかし今は疑問に思う。

また以前は彼の歌声の中に倍音を感じたが今の歌声に倍音を感じない。

それがどういう状態を示しているのか私にはわからない。実際に歌声を直に聴いたわけではないからだ。

ただ、長年、声の専門家として多くの歌声を聴いてきて危惧することを書いている。

 

今後、彼の歌声がどのように変化していくのか注意深く見守りたいと思った。

 

 

追加レビュー(2020.1.24)

ジェジュンの歌声の変化にばかり捉われて、肝心の楽曲についてのレビューが疎かになってしまっていたことに気がついた。

あらためてこの曲を聴いてみた。

 

明るい曲調の始まり。その曲調に合わせて彼の歌声も明るい。

メロディーは単調で覚えやすい。Aメロ、Bメロの後にすぐにサビが来る作りだ。

縦刻みのリズムは、軽快で前へ前へと音楽が流れていく。4ビートで刻むリズムが底辺にずっと流れ、歌声をした支えする。

AメロからBメロへの切り替えもあくまでも縦に進んでいく。Bメロによってさらにポップに音楽が前に進んでいく。また全体の色調が明るい為に曲のリズム感と合わさって非常に前向きの音楽を感じさせる。

 

Bメロからサビへの展開部で、リズムと共に音も縦に断面的に切り取られる。あくまでも縦刻みの流れの中で、メロディーラインだけが横に流れていく。

サビのメロディーは非常に単純で覚えやすい。音の並びもメロディー進行も期待を裏切らない。非常になだらかで違和感がない。即ち、聴き手が期待するようにメロディーが展開していくのだ。

さらに繰り返される部分では、上向きのメロディー展開と共にクライマックスへと向かって高揚感溢れるラインが続いていく。作り手と歌い手の迸る感情がそのまま音のラインに乗せられていく。

この中毒性のあるメロディーが繰り返されることによって、楽曲の印象が非常に単純で覚えやすいものになっている。そう、一度耳にしたら、誰でもがすぐに口ずさめる気やすさ。

この単純でわかりやすいメロディーがこの曲の最大の魅力だと思う。

 

「親しみやすさ」

音楽が広く大衆に受け入れられる定義の一つをこの曲はクリアしている。

難しい音楽よりも誰もが気安く口ずさめる曲。誰もがすぐに覚えられるメロディー。

それらが繰り返されていくことによって大衆の記憶の中に刷り込まれ、耳の中に残っていく。

 

今までの彼の楽曲の中で、一番いい曲だと思った。