最後にジェジュンの歌声についての追記をしました。

ジェジュンと言えば彼のハイトーンボイスを好む人が多いが、甘く濃厚でビロードのような上質のビブラートを持った彼の中音域は、時に切なく非常に魅力的である。

「ワインレッドの心」はそんな彼の中音域の魅力を余すところなく伝える。

 

この楽曲において彼は非常に楽に発声している。低すぎず高すぎず、ちょうど彼が一番出しやすい音域でもある。

彼の歌声には常時、ビブラートが存在する。その為、いわゆるストレートボイスの歌い手が持つようなカンとした鳴りのいい歌声ではない。しかしビブラートが存在する分、その響きの度合いや色合いによって様々な音色を奏でる。それは言葉の発音による口腔内の形だったり、音程の動きに合わせての響きのポジションが要因だったりする。それらは一つのフレーズの中にも存在し、色合いの変化を楽しむことが出来る。

「ワインレッドの心」はそういう彼の音色の中では甘い色で統一された曲だ。

 

鼻腔に響かせた声は濃厚で甘い響きを奏でる。

おそらく彼の持つ歌声の中で最も幅が広く分厚い響きの声だと感じる。

統一された響きは固定化されており、発声ポジションが散らばらない。鼻腔のある部分にきちんと当てられた声は非常に安定した響きを奏でている。

玉置浩二の「ワインレッド」が男らしくエネルギッシュなのに対し、ジェジュンの「ワインレッド」はどちらかと言えば少し線が細い。その分、切なさが募り、甘い声が強調される。

玉置浩二の世界は大人の男の音色だったが、ジェジュンの世界は青臭く大人になろうと背伸びした世界だ。彼の持つ中性的な雰囲気が楽曲全体の印象を変える。

 

玉置浩二の歌のカバーに関して言えば、「メロディー」の方が男臭かった。それは音域が低音域を中心とした楽曲だったことにあるかもしれない。

このようにジェジュンの歌声の色合いは、低音域、中音域、高音域でそれぞれに異なった顔を見せる。それらの色あいをどのようにチョイスして表現していくかは彼の感受性に委ねられている。そしてそれがカバー曲を歌ってもオリジナリティーとして独自性を発揮できる彼の強みでもある。

 

この曲に於いても「Forget-me-not」に書いた日本語の歌言葉による緩急のリズム感を彼が感じ取って表現しているのがわかる。即ち、単語が一塊になって音節として存在しているのだ。

何度も書くように話言葉と歌言葉ではリズムが異なる。

話し言葉は平坦なリズムで緩急も強弱もないが、歌言葉はリズムを持たなければ何を歌っているのか全くわからない。それはメロディーの持つリズムや強弱とは別に言葉としての独自性を持つ必要がある。

歌言葉のリズムをしっかり身につけた上に、音楽としての強弱やリズム、テンポの揺れが加わることで楽曲は成り立つ。

その構造を理解しなければ、日本語の言葉を歌に乗せてしっかりと伝えることは出来ない。それが彼に自然に身についてきたのをこの曲でも感じることが出来る。非常に言葉が明確でエッジが効き立っている。平坦なメロディラインの中で言葉が際立っている。

 

彼の日本語を歌う能力が進化していることを感じ取れる一曲だ。

 

追記

ジェジュンの歌声の懸念について以前の記事で指摘したことがある。それは確かに1月末に行われた大阪でのファンミのコンサートで直に聴いた歌声でも印象は変わらなかった。

だが、高音が出にくい、声が割れるという状態は他でもない彼自身が一番感じていることのはずだ。歌手であるなら、自分の歌声が以前に比べてどうなのかということは他人に指摘されるまでもなく自分自身が一番よくわかっている。

ジェジュンはこういう場合、必ず修正してくる。だからNHKの「The Covers」の楽曲をどう歌うかは非常に興味があった。彼がどのように修正してくるかによって、彼の今の歌声の状況がよくわかるからだ。

先ず興味深かったのは、彼が「ワインレッドの心」を選曲したことだ。この曲は今まで彼が歌ってきた曲とは異なり高音がほとんどない。中音域の比較的狭い音程の中でメロディーが行ったり来たりする。即ち、彼の中音域の声の状態を知るにはもってこいの曲だった。さらに彼自身が最も歌いやすい、声を出しやすい音域が中心となる楽曲であり、それを彼がどのような声で歌うかによって彼の声の状態を知ることが出来る。

概して、ハイトーンボイスの歌手の場合、高音の声に注意が行きがちだが、実は中音域の声の状態が最も重要である。中音域において声が掠れる、響きが割れる、当たらないなどの状態になった場合、声帯は深刻な状況にあることが多い。声帯の健康状態を知るのに中音域は非常に重要な場所なのである。なぜなら高音域は発声の仕方によって声の状態が変わりやすいが、中・低音域は発声方法に関係なく、声帯そのものの健康状態を声に反映するからだ。ポリーブや結節、声帯炎などの場合、この声域に先ず症状が現れる人が多い。だから歌手にとって中音域の響きの状態は非常に大切と言える。

また、「Forget-me-not」はこれまでの彼の歌い方を踏襲するなら、高音域の声の状態、声の出し方を知るには打ってつけの曲だと言える。だから彼がファンミ以降、おそらく練習したであろう中で、どのように修正したのか非常に興味深かった。

 

 

結論から言えば、この日の彼の歌声は、高音に関しては、これまでの力で押して押し切るという形から、なるべく顔の前面に声の響きを持ってこようとする意図が見えた。以前は喉から後頭部に当てていた響きを後頭部に回さず、鼻腔から外さないようにする意図が感じられた。それを感じたのは彼の中音域の発声である。

この日の彼の歌には、この中音域の声が全て上顎から鼻腔に当てられポジションを外さないという意思が見えた。響きのポジションに気を配ることで、非常に丁寧で綺麗な響きの中音域の声が並んだ。言い方を変えれば「ワインレッドの心」は彼が鼻腔の一番いいポジションに声を当てるのにちょうどのメロディーラインを持つ楽曲だったのだ。

 

彼は「ワインレッドの心」を歌うことで自分の響きのポジションを調整しながら確認することが出来、それがひいては高音の発声にも良い影響を与えたと言える。

綺麗に鼻腔に響かせた声のポジションは喉に落ちない。喉に落ちない響きは、鼻腔を通り、顔の前面へと行こうとする。そういう響きの流れが自然と出来上がっていた。だから、この日の彼の高音はキーを上げたにも関わらず、今までのような突き上げるような出しずらさを感じる歌声とは違い、響きを空間に抜け放つことが出来たのだと思う。

 

彼の歌声の不調が「日本語を歌う」というJPOP特有の喉への負担から来るものであるなら、しっかりとポジションを前に取って響きを空気の流れに乗せて前へ前へと抜いていくことで声の伸びやかさを取り戻すことが出来るだろう。

「Ray of Light」の歌唱と共に、この日の歌声は今までの歌声よりも少し伸びやかさを取り戻したと言えると思う。

 

彼の歌声は確かに東方神起時代に比べると濃厚で分厚い響きになっている。しかし、この日の歌声を聴く限り、まだまだ変化する余地が残されている。

修正し、発声ポジションを自分にとってもベストな場所に持っていくことで声はどのようにでも変化する。そのことを彼の歌唱が証明している。

 

今回の彼の歌声が良い状態であるのは、しっかりと練習する時間が取れたのだと感じる。

ゆっくりと自分の歌や音楽と向き合う時間がなければ、歌はどうしても荒れる。しっかり歌い込むことが歌手にとっては最も大切なことであると感じる。