藤井風のファンである息子によると、この曲が一番好きだという。

 

藤井風の音楽を聴くと、都会の匂いがする。

乾ききった都会の風。

成熟した都会感。

即ち、大人の音楽なのである。

23歳と言えば、男性であれば、もっと未熟さを感じる年頃でもある。しかし、彼の音楽からはその微塵さも感じられない。

成熟しきった大人の匂い。

 

歌声は少し甘めのバリトンだ。

濃厚で良質な低音のビブラートを持っている。

何よりこの人の発声には、どこにも力みがない。

即ち、歌うことはこの人にとって、息をするように自然体で、身構えることがないのである。

だから言葉のタンギングも自然で、話すように細かいセンテンスを発音し、そこに少しブレスを送り込むだけなのだろう。そうやって言葉を紡いでいく。

この曲においては、横に並列に言葉が同じ強さで並んでいく。どこかに緩急があるのでもなく、どこかに強弱があるのでもない。ただ並列に言葉が並んでいくのである。

それなのにこの人の言葉は非常に明確に響いている。

これはどこにも余分な力が入らず、自然体で発音されているからであり、並列に言葉を同じ強さで紡いでいくだけの体幹力によるブレスの力を持っているということになる。

同じ太さの同じ強さの音を並列に歌いきっていけるだけのブレスの力を持っているということになる。それはこの人の縦に長くしっかりとした体格から繰り出されてくるブレスの力によるものだろう。

発声という面から考えると、かなりしっかりとした体幹、インナーマッスルを持っていると言えるだろう。

また、ボイスチェンジがほぼ感じられない。

ミックスボイスの鼻腔に響く安定した歌声を持ち、音域的に中音域を主流としたメロディーラインは、自分の声の一番出しやすく魅力的に響く音域を熟知した上で、メロディーラインを作っているように感じられる。

これが最近のJPOPの傾向に多い、ハイトーンボイスで高速回転のメロディーラインの音楽とは完全に一線を画した音楽になって、耳に心地よく響くのである。

そして、藤井風の音楽に都会の乾きと大人の匂いを感じる一番の要因のように思う。

即ち彼の音楽は、上質の「大人の音楽」なのである。

 

彼の音楽の引き出しは開き始めたばかりだろう。

その引き出しの中から、どんな音楽が飛び出してくるのか、非常に興味深い。

 

そして、久しぶりに登場したバリトンの甘い歌声は、その音楽と共に非常に魅力的である。

私の好きな都会の空虚感。

そういう風を感じるのである。