三浦大知の「Missing」を聴いた。
この人はなぜ、いつも歌う前にこんなに雰囲気があるんだろうと思う。
こういうバラード系の歌を歌う時、三浦大知の周りの空気は止まる。
空気すら微動だにせず、静寂の中でただひたすらに彼の歌声を待っている。
静寂の中に彼の歌声が真っ直ぐな一本の糸のように始まる。
これが三浦大知のイメージだ。
非常に落ち着いた歌だった。
この人がカバー曲のバラードを歌う時、周囲の空気は静寂に包まれ、彼の歌が始まるのをただひたすら待っている。緊張感よりももっと静かなもの。
静を現すのが上手い。
そう思う。
それは動を十分に表現しきれるからだ。
三浦大知といえば、優れたダンスで圧倒的なパフォーマーだ。そのイメージはいつもキレのいいダンス。身体の縦の線がしっかりと地についてブレない。激しい動きでもそこにふわついた感がないのは、彼の人間性だろうか。
どんなに動きまわっても彼には落ち着いたイメージがある。それが音楽との距離感。
しかしバラードになるとまた違った距離感が生まれる。
バラードでは距離感を感じることが少ない。楽曲をしっかりと自分の側に引き寄せて歌っている。その底流にあるのは静寂だ。熱情よりも静寂。
落ち着いた静寂感が音楽を包み込む。彼の度量の大きさが楽曲を包み込む。
静を現しきれる。それは「球体」に通じる哲学感だ。
久保田利伸の「Missing」がどちらかと言えばエネルギッシュであるのに対し、三浦大知の「Missing」はどこまでも落ち着いている。だからと言って冷めているのでもなければ、距離感があるのでもない。
温かさの中の静寂。
この人の持ち味であり人間性が現れるような一曲だった。