昨夜、三浦大知はMステで「music」を歌いダンサー達とパフォーマンスを披露した。歌もダンスもリモートで撮影されたものだったが、クロマキー撮影し合成したものだった。クロマキー撮影とは、グリーンやブルーなどのスクリーンを背景に貼り、その前で撮影して、あとで背景画像を合体させるというもの。この手法を使って彼はダンサー達と入れ替わったり、交錯して一体感を演出。まるでライブでワンシーンを見ているような躍動感溢れる画面を作り出した。

この手法を見て、ああ、彼らしいと思った。

彼の音楽の世界には屈託がない。そう屈託がないのだ。

いや、屈託はしているだろう、アーティストなのだから。アーティストは屈託しながら前に進む。なぜなら常に自分と向き合い、考えるからだ。これでいいのか、いやもっといい方法があるのではないのか。

常に自分と対話し前へ進もうとする。それが本物のアーティストだと私は考える。

 

三浦大知の音楽の世界を考えた時、彼の音楽にはいつも迷いが見えない。

おそらく彼の中では迷ったり葛藤したりを繰り返しているはずだ。しかし、観客の前にそれを提示する時、彼の音楽には一瞬の迷いもないのだ。

そして彼のメッセージはいつもシンプルだ。

 

音楽は楽しいもの。音楽は繋がれるもの。音楽で繋がろう。

 

コロナ感染の影響で、彼が上半期に約半年をかけて組んでいた全国ホールツアーはそのほとんどが中止に追い込まれた。

そんな状況になれば誰もが暗い気持ちになる。どんなにファンに心配させまいと強がってみせても愚痴の一つも言いたくなるだろう。その弱さを見せるのも人間臭くて魅力的かもしれない。

しかし彼は違った。

ツアーが中止になるとわかれば、ファンに会えなくても離れていても繋がれるよ、一緒だよ、と自宅から、また移動先のホテルからInstaライブで一曲を歌う配信を始めた。最初の頃は手探りだったこの企画も、今では「1Song Home Live」としてライブ開催日に合わせて配信されている。

そこにこの人の強さがある。

 

三浦大知を思うとき、私は非常に強い人だと感じる。

それはどんな状況下でも彼が非常に冷静で落ち着いているからだ。

それは音楽に対する揺るぎないスタンス。そして自分のパフォーマンスに対する確固たる自信の裏づけを感じる。

彼の音楽は常に非常に安定していて、客観的で物事との距離感に優れている。

そこには多くの歌手が陥りがちな主観的感情がほとんど見えない。非常に整理された無駄のない世界だ。

この世界観こそが彼の音楽が非常に洗練されていて無駄のない世界を作り出すことに繋がっている。

ダンスと歌との融合。

これが三浦大知の音楽の世界だ。

しかしその根底に溢れるものは、自分自身への肯定感と揺るぎない音楽へのスタンスだ。

 

世界中でライブのパフォーマンスが停止し、パフォーマンスの仕事に関わる人間全てが表現の場を奪われている。

コロナの収束は見えず、仮に収束したとしても元の形でのライブの実現は困難と言わざるを得ない。

誰もが表現の場を奪われ、自宅待機を余儀なくされている。

そんな中で、多くの歌手や俳優達、バンドマンは、リモートによる表現の場所を手探りで求めている。

彼の1Song Home Liveもそういう状況の中で生まれてきたものだ。

 

昨夜、彼がMステで何を歌うのか、そこには彼のメッセージが込められている。

ほぼ音楽番組がない状況の中で、与えられた出演のチャンスは非常に貴重なものだ。

その場所で、彼は数多くの楽曲の中から「music」を選んだ。

この状況下の中でも「music」を選んでくる彼の確固たる音楽に対する信念と強さをこの選曲から窺い知ることが出来る。

 

「music」

そう音楽だ。

この楽曲は非常にシンプル。

とにかく文句なく楽しい。明るい楽曲だ。

高度な技術のダンスパフォーマンスもメロディーもない。

誰もが簡単に口ずさみ、誰もが簡単に身体を動かせば、その世界に入っていける。

何より音楽自体が楽しくて、自然と笑みが溢れ、口ずさみたくなり、身体を動かしたくなる。

シンプルで楽しい世界だ。

 

そう音楽は楽しいもの。

楽しい音楽で繋がろう。

どんな状況でも音楽で前を向ける。

元気になる。

音楽とはそういう力を持つものなのだということを彼は伝えてくる。

だから「music」

 

そういう彼のシンプルだが、それゆえに強いメッセージ。

それが昨日の一曲に込められていた。

 

どんな時でも笑顔を絶やさず、動じない。

その強さが彼の音楽の強さであり、彼の音楽の世界だ。

だから多くの人が彼の世界に惹きつけられる。

 

音楽で強くなれる。

 

三浦大知はそう私達に教えてくれる。