この曲のライブ音源を聴いた。
何だか本当に悲しかった。
どうしてこんなにしんどい発声になったんだろう、と思った。
昔、彼がグループ活動をしている時、彼の歌声は快感でしかなかった。
なぜならその歌声はどこまでも伸びていき、天井知らずだった。声が伸びていく先には何の障害もなかった。
彼は自由に声を操り、どんな音域の歌声も軽々と出していた。
あれから8年、彼の歌声はすっかり変わってしまったのだと思った。
私が彼の歌声についての懸念を書くのを批判している記事を読んだことがある。
「声のことばかり書いてるけど、歌は声だけじゃない」
確かにそうだ。
歌は声だけじゃない。たとえ擦れ声のハスキーな声だって、そこに歌い手の魂が込められていれば人は感動する。
「ハスキーで声が枯れても歌い続けるって言うのもある意味カッコイイんじゃないですかね」と言った人もいる。
確かにそうかもしれない。
でも彼はそれで満足するだろうか。
あれだけの歌声を持っていた人が、掠れ声のハスキーな声になっていく自分の声に満足できるだろうか、と私は思う。
なぜ、私が歌手の歌声に言及するかと言えば、歌手にとって「歌声」は命綱だからだ。
「歌声」を自分の思うように出せた時、パフォーマンス力は歌手の思い通りになる。
自分の思い通りの歌を歌うために、歌手はボイストレーニングを積む。それは、誰よりも自分自身が納得のいく歌を歌う為だ。
歌は誰の為にもない。自分の為に歌うのだ。
自分が表現したいこと、自分の思い、自分の感情、伝えたいこと。
そんなことを歌手は音に乗せて歌う。
その手段が歌声であり、それを失えば、歌手は自分を表現することが出来ない。
だからいつまでも少しでも長く歌えるように自己節制をし、歌声を保とうとする。
自分の歌声がどうなってもいい、などと思うような歌手は1人もいないはずだ。
ジェジュンの歌声をこうやって聴いてみると、いつから彼の発声ポジションがずれていたのかがよくわかる。
私は当初、あまりにも彼の声の調子が悪い為に、機能的な障害を心配した。今でもそれが100%なくなったかと言えば、そうとも言えない。
しかし、こうやって2018年から2019年のライブ映像を聴くと、彼の発声ポジションがどうなっているのかが非常によくわかる。
そしてどこをどう修正すれば、元の歌声に戻る可能性があるかがわかる。
彼の発声ポジションは、ほんの少しズレているのだ。
このほんの少しのズレが、実際に声を出して歌うと、大きく歌声に影響を及ぼし、全く違った声になってしまう。
声というのは本当に不思議なもので、だからこそ、ちょっと修正されるだけで全く違う声を獲得することができるのだ。
ジェジュンはこの曲に於いても、非常に喉で押して歌っている。
高音でもない音程をこれほど押して歌うのは、それだけ声帯のくっつきが悪いと彼自身が自覚しているからである。
このまま歌えば、カスカスの声になるということを彼は知っているのだ。だからそれを防ぐ為に力を入れて声帯をくっつけて押して歌っているのだ。そうすれば声は出る。しかし、その声は直線的で尚且つ硬い歌声になる。しかし、そうでもしなければ安定した歌声にならないということも彼は知っているのだ。
ただ彼がわからないのは、なぜ、こういう状態になっているかということ。
彼自身は今までの感覚の通りに歌っているのに、自分が思うように声帯が反応しない。
聴いていて、非常にしんどさを感じる。
昔、彼の歌声にしんどさを感じたことなど一度もなかった。
もっと楽に歌える方法があったのに、それを彼は忘れてしまっている。
そう感じた。
この時点での彼の歌声はこうなっていたのだ、とあらためて認識した。