Matt、城田優、ジェジュンの出演した「僕らの時代」を観た。

尾崎豊の「I Love You」を即興で演奏したが、ほんの数分の短い即興演奏の中にも3者3様のあり方が垣間見えて非常に興味深かった。

 

Mattのピアノにジェジュンと城田優が歌ったものだったが、即興とはいえ、それぞれのパーソナリティーが現れる。

 

Mattのピアノは確かに音が非常に綺麗だ。澄んでいて際立つ煌びやな音色を持つ。彼は歌声も繊細で細く綺麗なハイトーンをしている。ブラバンに在籍していたとはいえ、独学で多種類の楽器を操る器用さは、彼の音楽的才能の豊かさを物語っている。

確かに彼には音楽的才能があるのだろう。彼のピアノ伴奏からいつも感じるのは、従順さであり素直さ。歌にあくまでも合わせて弾くというスタイルであって歌をリードする強さは持たない。これは彼らをそれぞれ伴奏した時もそうだったし、天童よしみを伴奏したときも同じだった。彼の伴奏の概念があくまでも歌に合わせて弾く、ということなのかもしれない。そこから感じる彼の音楽は、どこか消極的であって遠慮気味である。まだMattの音楽というものが確立できていない未熟さを感じる。

 

それに対して城田優とジェジュンは、口ずさむ程度の軽い歌であったにも関わらず、それぞれの独自性をしっかりと感じさせた。

 

ジェジュンは城田優に促されて韓国語で「I Love You」を歌った。彼自身「あまり歌ったことがない」というほど、検索した歌詞の画面を見ながらのものだったが、それでも彼の音楽の特徴がよく出ていた。口ずさむ程度の歌だったが、柔軟でソフトな綺麗な歌声が伸びも良く発せられていた。そしてそれは決して主張しすぎない。あくまでも二人の音楽の息に合わせるというスタンスを感じた。

それに対し、城田優はしっかりと歌声を張り上げて歌った。軽く歌い始めた歌がだんだんと本気の歌になっていったという感じだった。「歌う」という動作になれば身体がきちんと「歌う」モードになる。身体にスイッチが入る。

数多くのミュージカルを経験して来た身体が音を聴けば自然に反応し、しっかりと自分の音楽を主張する。それはハーモニーやデュエットの中でも自分を主張して歌うという訓練を積んできた中で身体に刻み込まれたものと感じる。

 

この二人の対照的な歌に、それぞれの音楽性と歌に対する感覚がよく現れているようにみえる。

 

なだらかで鼻歌のように軽く歌うジェジュンからは、彼の中にいつも「歌」があり、「歌う」ということに構えない。息をするように「歌う」ということが身についているのを感じさせた。彼にとって「歌」が全てであり、自分をアーティストと言い切る所以がそこにあると感じる。

それに対し、軽く歌い出しても本気スイッチモードになっていく城田優からは、「歌う」ことが「演じる」ことに繋がり、「歌」は「演じる」ことのツールとしての役割があり、彼の中で俳優と歌手の割合が同列であるのを感じる。「歌」は「演じる」こととして身体が認識していることを想像させる。

 

アーティスト「ジェジュン」、俳優、アーティスト「城田優」としたところが、二人の「歌」というものに対する位置づけの違いを感じさせるものであり、どんなに軽く歌う場面であっても、それぞれの身に染み付いたスタンスが現れた一曲だった。

そして二人がごく自然にハーモニーを作るのも、ボーカルユニット、ミュージカルという経験値の中で二人にとっては、息をするようにごく自然に当たり前のこととして身についているのを感じさせた。

 

話題のMattの交友関係を軸に彼をクローズアップしたいという番組の意図だったかもしれないが、城田優、ジェジュンのキャリアが彼を食ってしまったという感じが否めない。そこには如何にプライベートで親しく交流していたとしても、長く芸能界で生きてきた二人のキャリアと、音楽の才能にあふれているとは言え、わずか3年のキャリアしか持たないMattとの間には、「音楽」と言う分野において大きな隔たりを感じずにはいられなかった。

 

番組中の僅か数分のコラボだったが、それぞれの音楽性や立つ位置が見えて興味深かった。

そしてトーク部分においても、それぞれのパーソナリティーがそのまま音楽に現れるのを禁じ得ない。

常に雄弁でトークをリードし、はっきりと自己主張する城田優と、基本的に二人の話を「聴く」というスタンスのジェジュンと、無邪気に自分のことを表現することを躊躇しないMattに、それぞれのパーソナリティーの特徴と3人の位置関係が出ていて非常に面白かった。

 

音楽はその人なりを現すというが、3人のパーソナリティーがそれぞれの音楽のスタイルに投影されていることがよくわかる番組だった。