ジェジュンのカバーアルバム「Love Covers」のライブに参加した。
あー、彼は本当に歌手になったんだと思った。
ジェジュンはこの8年。
歌手であって歌手でなかった。
その理不尽さをずっと感じ続けた8年と言っても過言でない。
これが多くの歌手には感じない特別な感情なのかもしれない。
歌手としてデビューし、CDを出しプロモーションをしてツアーを行う。
この歌手として当たり前の手順を踏むことが出来ない8年だった。
だからこそ今のこの環境に彼は拘る。
日本でソロ歌手として活動を再開し、この歌手として当たり前の日常を取り戻す。
この2年、ライブに行けば、歌手として存在出来る空間に誰よりも彼自身が拘り続ける。
拘り、手放すまいとする。
8年、ライブが開催されるたびに思うことは「次はいつ?」
次が確約されない環境。
歌手として存在出来るかどうかがわからない未来。
その悲壮感がいつもライブに漂っていた。
楽しいライブは終わりに近づくにつれ悲壮感へと変わる。
この瞬間が終われば、次に彼の歌が聴けるのは未来永劫訪れないかもしれない。
彼が話す日本語は二度と聴けないかもしれない。
未来の見えない焦燥感が彼の話す日本語のMCに拘り彼の歌に拘る。
この瞬間が永遠に続けばいいと願い、この空間を手放したくないと思う。
そんな8年の拘りは、昨年日本で正式に活動が再開されても変わらなかった。
CDが発売されツアーが開催されても、いつかこの空間も瞬間も失うのではないかという不安感が拭いきれない。
それは彼自身の不安感だったかもしれない。
だから4時間のライブになり、長いMCになり、歌よりもMCの比重が大きくなり、聴衆としての歌への集中力が削がれる。
17、8曲を聴いても「歌を満喫した」という気分にならない。
これが正直なところの今までのライブの感想だった。
でも今回は違った。
ほとんどMCを挟まずに初日のライブは進行した。
続けてバラードを次々と歌う。
淡々と歌い続ける姿に彼の歌手としての原点を見た。
多くの歌手と同じように「歌」を中心とした構成は、この10年で初めて、彼の歌に集中できた空間だった。
次々と繰り出されるカバー曲の数々。
彼の歌声を満喫した世界だった。
ああ、彼は本当に歌手になったんだな、と思った。
歌手としての活動が彼の中で当たり前になったのだと思った。
歌手としての次が約束されている世界。
そんな当たり前の世界に今、ジェジュンはいる。
だからこそMCに拘らず、歌に集中し、あっさりと引き上げる。
それは次のステージが約束されているからこそ出来る証拠。
歌手ジェジュンは、やっと歌手としての原点に立ったのだと思った。
※
二日間を観て、二日目しか観ていない人には申し訳ないが、コンサート全体の出来も歌への集中力も初日の方が格段に良かったと感じる。(二日目はスカパーで視聴なので臨場感は違ったかもしれない)
TV放送の時間枠の関係やお知らせなど、手順を踏まないと行けないものがあった関係かもしれないが、MCが長かった分、初日に比べて歌への集中力は削がれた。
「コンサートは初日を観るのが鉄則」
初日は誰もがテイクワンだからだ。
テイクワンは一度しかない。
だからこそ、いい意味での緊張感と集中力が漲っている。
そんな言葉を思い出した。
余韻を思い出しながら、少しずつ書いていきたいと思いますので、ゆっくり読んで頂けると嬉しいです。