この曲を初めて聴いたのは、2016年2月、彼が入隊中に行われたホログラムコンサートだった。

その時の歌と今回の歌ではずいぶん印象が異なる。

今回、ミニアルバムを出すにあたって彼はこの曲の後半を録音し直したと話している。注意深く聴いてみると確かに後半のクライマックスからの歌声はそれまでの歌声と異なる。どこが異なるかと言えば、高音の音色がそれまでよりもさらにハスキーな音色になっている。

 

この曲は彼が「後半はとても高い音が続いていて歌詞の量が多く思ったより休む間がなくて、1曲歌うとコンサートを半分くらいやったのと同じぐらいのエネルギーを使う」と話すように非常に難度の高い曲である。

元々彼は高いキーに拘るが、この曲はそんな彼でも歌うのが非常に困難を要する曲であり、他の人が歌う場合でもかなりのハイトーンボイスの歌い手でなければ歌えない曲である。

 

訥々と言葉が紡がれていく前半から一気にクライマックスへと展開されていく為、声帯のコントロールが非常に難しい。音域も広く、さらに中盤からは、高音部しか出てこない。全体的に非常に高い音域の曲である。そのため、この曲を歌う歌手の喉への負担は半端ないと言えるだろう。「後遺症が大変だった」という彼の気持ちもよくわかる。

 

この曲の歌声については、前記事の印象と何ら変わらない。

彼は「2016年に録音した歌声とそんなに老けていない」と話したが、確かにそれほど変わらない。特に静かなメロディー部分では、言葉のフレーズ処理が統一されている。即ち、何年経っても彼の歌い方は変わらない、ということの現れでもある。ただ高音域の声の痩せ方、響きの痩せ方は非常に気になる。特に最高音のフレーズでは響きの音色が枯れてしまっている。

 

昨日あげた前記事での彼の歌声に対する指摘については多くのコメントやメッセージを貰った。アルバムやCDの売り上げが好調な陰で、歌声そのものに関して懸念を抱いている人が案外多いのだということを知った。

 

誰しも好きな歌手にはいつまでも歌声を保っていてほしい。

いつまでも若い頃の歌声を維持し続けてほしいのである。

 

歌声は他の筋肉と同じように鍛え直すことが出来る。一時、歌声が落ちてしまった歌手でも鍛え直すことで歌声が戻っている中年、高年歌手は何人もいる。

大事なのは歌手本人と周囲の自覚と、それに対する適切な対応である。練習時間が満足に取れない中での音楽活動は声帯自体を痩せさせてしまう。

基礎体力を鍛えなければ競技が出来ないのと同じように、ボイストレーニングと歌い込みの練習は歌手の基礎体力である。

彼は長い間、満足に歌えなかった。

「練習はしない。若い頃から本番が練習だったから」と彼は話したが、若い頃の筋肉を保つためにはトレーニングを積まなければならないのと同じように、歌い込みや発声練習のボイトレをしなければ、若い頃の歌声は保てない。

 

彼が今後、歌手として音楽活動を続けていくなら基礎体力は不可欠である。

 

歌手ジェジュンを生かすのは、ジェジュン自身の自覚にかかっている。なぜなら、10万枚のCDの売り上げを持ち、アジアのスターとして16年も君臨して来た歌手に誰も本当のことは言わない。否、言えないのである。

彼はCjesに入って以来、全ての楽曲をセルフプロデュースして来た。そして実績を上げて来た。そんな人間に何も言えない。誰も彼に警鐘を鳴らさなければ、首に鈴もつけない。

 

ジェジュン自身が自分で自覚するしか道はない。

 

 

私は多くの歌手が歌声を失っていくのを見て来た。

ハイトーンボイスの歌手の場合、中・低音域の歌声に変化が現れたら、それは危険サインである。

彼だけではない。東方神起のメンバーは全員、危険水域にいると感じる。なぜなら、KPOP芸能界は、デビューするまで徹底的に鍛え上げるが、追加の訓練はない。練習生時代に培った蓄積をその後の芸能活動の中で食い潰していくだけだ。だから長く歌い続けることが出来ない。

「声帯は疲弊する」という原則を芸能関係者が余りにも知らなさすぎる。

 

 

デビューして16年が過ぎた。

34歳は歌手としてはまだまだ最盛期のはずだ。

こんな痩せた歌声じゃない。

 

そう思いながらこの曲を聴いている。