歌手という職業は、スポーツ選手と同じく肉体の老化との闘いの職業だ。
歌手にとって、加齢による声帯の変化は、歌手本人が誰よりも一番先に感じるものだろう。

布施明の「君は薔薇より美しい」を聴いた。
この曲は私の大好きな曲であり彼も大好きな歌手だ。
この曲の1979年当時の音源と昨年2017年の音源を聴き比べた。
キーポジションを3度下げていた。

キーを下げるというのは歌手自身にとっては屈辱的なことの一つかもしれない。
いつまでもデビュー当時の美声を保ちたいというのは本人だけでなく聴衆も望む。

曲にはその歌手が最初に歌った時の歌声のイメージが擦り込まれている。そのイメージを聴衆はいつまでも記憶に残し曲がかかるたびにその歌声を期待する。
その期待に歌手はいつまでも応え続けなければならないという宿命を持つ。

しかし肉体の老化はそれを許さない。
デビュー曲当時のキーポジションでいつまでも歌える歌手はほとんどいない。

では歌手はどうするのかと言えば、できる限りイメージを壊さないように歌うということを心掛けるしか方法はない。
布施明の持ち味は、伸びやかな高音と甘い歌声と豊かな声量にある。

この人の歌は全体的にキーが高く、この歌ではさらにサビの最後の部分に高音のロングトーンがある。
布施明でなければ歌えない持ち味を十分に生かしきった曲と言える。

デビューして半世紀以上歌手がその声を保ち続けるのは容易なことではない。
しかし彼の歌声は未だに豊かな声量と伸びやかで甘い歌声は健在している。
キーを下げてもそれをカバーして余りあるぐらい彼の歌声は聴衆のイメージを壊さないだけの力を保ち続けている。

中音域から高音にかけてのメロディーラインだが、彼の歌声はどの音域も伸びやかだ。弾力性を感じさせるほどの伸びやかさだ。そして十分な声量を保つ。

それは彼の肉体を見ればわかる。
厚い胸板は若い頃と変わらず筋肉の張りもある。

声帯も筋肉の一種であり加齢と共に痩せてくる。しかし彼の声帯にはその衰えが見られない。
さらに十分な声量は、十分な肺活量と背筋、腹筋の力が充実していることの現れだ。
これらの肉体を維持するのに、彼はどれだけの努力をし続けてきただろうか。
それは決してファンには見せない部分の歌手布施明の顔だ。

最後のロングトーンは見事なほどの声量を披露している。

マイクと口との距離も若い頃と全く変わらない。
彼は肉体を使い切って歌うタイプだ。それを決して聴衆に感じさせない。
70歳を過ぎて、これほど歌えるのは奇跡に近いかもしれない。
彼の歌声を聞けば、若い世代のハスキー気味な歌声よりもずっと若くしなやかなのがわかる。

「君は薔薇より美しい」は1979年発売。

発売時から40年近く経った今もその曲のイメージを壊さずに歌える歌手がどれぐらいいるだろうか。

布施明の美声は今も健在だ。