三浦大知の魅力と言えば、なんだろうか。
卓越したダンス力。
圧倒的なパフォーマンス。
ダンスと歌とが一体化した世界。
彼のダンスを抜きにしては語れない世界。
それが三浦大知の魅力だろうか。
私が彼の楽曲を本格的に聞き出したのは、このブログを始めたちょうど3年前の秋から。
それまでは、息子から名前を聴いていて、「世界的に評価の高い人」「ダンスの上手い人」という程度の認識しかなかった。
しかし、彼の歌声が途中から変わった、というのを聴いて、興味を持った。
なぜなら、デビューしてから後、歌声を変える人はそれほど多くない。
簡単に「歌声を変える」と言っても、そこには並大抵の努力では出来ないものがあることを歌をやってきた人間として知っていたからだ。
どんなふうに彼が歌声を変えたのか。
それは明らかに第三者にわかるほど変えたのか。
非常に興味を持った。
それで、彼のソロ歌手になってからの曲をデビューから全部聴くことにした。
それが彼の楽曲を聴くことになったきっかけであり、レビューを書くことにした経緯である。
彼のダンスに多くの人は目を奪われるだろう。
卓越したダンス力は、日本人で彼の右に出る人はいないだろう。
そしてそれは十分に世界でも通用するということを、日本よりも欧米で先に実力が認められた、ということからしてもわかる。
日本の業界も聴衆も、彼のレベルに追いついていなかったのだ。
評価が遅れた原因は、「踊って歌う」というパフォーマンスや、R&B音楽への大衆化の遅れだったと思う。
そういう日本の市場の中で、彼はコツコツと自分の音楽とパフォーマンスを続けてきた。
それがこの数年で一気に花開いたのだと思う。
私は彼の魅力は、歌にあると思っている。
歌声は透明的で、ストレートボイスだ。
少し鼻にかかった甘い歌声が特徴で、ビブラートを持っている華やかな声ではない。
ダンスを踊って歌うには、ビブラートの歌声はどちらかと言えば不向きだ。
なぜなら、ビブラートがかかる分、リズムのタテ刻みが遅れがちになるからだ。
そういう意味でストレートな濁りのない歌声は、アップテンポなダンス曲には非常に向いている。
しかし、彼の歌声は、ダンス曲よりもバラード曲で魅力的になる。
ストレートな歌声は、非常に透明感を持って、真っ直ぐに空気の中を伝道してくる。
「愛燦燦」のカバーや天皇奉祝歌「歌声の響」を歌う彼の歌声は、透明感溢れており、彼以外には出せない世界観を現している。
その透明的な歌声と、私の好きな楽曲「music」に現される明るい歌声は、非常に魅力的で、彼がダンスの優れたパフォーマーであることを忘れさせてしまうかのように楽しい世界だ。
しかし、それとは一変して、アルバム「球体」での独特の世界観は、私を純文学の世界へと誘う。
「球体」の世界は、文学の王道である「純文学」に通じる彼の哲学のようなものを感じるのだ。
彼にとって、音楽は、パフォーマーであることの域を越えて、人生そのものであり、彼は音楽人以外の何者でもないということを強く示すものだと感じる。
彼の音楽は、家で言えば、大黒柱と屋台骨がしっかりとしており、非常に強固な立体的構造物、という印象を持つ。
どんな曲であっても、どの面からの揺らがないしっかりとした土台のある建造物のように、音楽が揺るがない。
それが三浦大知の音楽であり、魅力であると感じる。
コロナ禍にあっても、歌の配信を辞めず、楽曲作りをし、音楽を提供し続けてきた姿勢は、「三浦大知の音楽に触れて下さい」という彼の強烈でシンプルなメッセージだった。
長くメディアに出れない期間があっても、自分の音楽の世界を追求し続けてきたからこそ、今の揺るぎない姿があり、「音楽を続ける」ということの強い意思を確認する。
音楽をやる人なのに、そのスタンスからは、哲学を感じる。
これが三浦大知の最大の魅力であり、音楽人とはどうあるべきなのか、ということを常にメッセージし続けている人。
どんなに不遇であっても、決して音楽から逃げず、真正面から取り組んできた人。
その努力を全く見せることなく、さらっと笑顔で交わしてきた人。
そんな強さが彼の最大の魅力だ。
あなたは、どんな彼が好きですか?
私に彼の魅力について教えて下さい。
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