3年ぶりだという「玉置浩二ショー」

その番組で玉置浩二とジェジュンのコラボによる「メロディー」を聴いた。

「支えてあげたいっていう気持ちになったね」と話す玉置浩二の言葉通り、彼の歌手としての器の大きさが際立つ演奏だった。

 

コラボ曲を歌う場合の一番の難しさは2人の音楽性が違う時だと感じる。

なぜならソロで歌う場合、それはその歌手の好きなように歌えるからだ。

しかし、コラボ曲になった途端、それは好き放題に歌える曲ではなくなる。

相手の音楽、歌声、間の取り方など、これらの部分は、2人の感性が似ていなければ非常に苦労する部分と言えるだろう。

 

「メロディーは好き勝手歌っていい曲だと思っていたから」と玉置浩二は言った。

それぐらい「メロディー」は玉置浩二の曲であって、他の誰の曲でもない。

彼は昨年のツアーでシンフォニーコンサートでもバンドのライブでも、この曲を最終アンコール曲に据えている。

玉置浩二にとって「メロディー」という曲は特別な思い入れのある曲と言ってもいい。

彼がこの曲を歌う時、一言一言を大切にこれ以上ないというほど丁寧に紡いでいく。

「メロディー」の世界は彼の中で完成された世界だ。

その「メロディー」を自分以外の人間と歌う機会があること自体が想像も出来なかったというほど、彼の曲なのである。さらに自分の息子とも言えるほどの若者、それも韓国人と歌うなどということは、彼の人生の中で考えもつかなかったことに違いない。

「支えたいと思った」という言葉に彼の自分の歌を歌う若者に対する慈しみの感情が全て現れていると言える。

 

ジェジュンの歌で始まったこの曲は、ジェジュンが非常に玉置浩二の世界観を理解し尽くしている始まりだった。

彼はこの曲を自身のカバーアルバムに収め、TV でも歌ったことがある。しかし、今回の歌はそのどれとも違い、玉置浩二の音楽、間の取り方、さらに世界観を理解しようとするスタンスが現れた歌い方だったと感じる。

これは冒頭の始まりの部分を非常に丁寧に一言一言を紡いでいく歌い方に現れている。それはまさに玉置浩二の「メロディー」の世界そのものであると言えるだろう。

 

だが、ジェジュンと玉置浩二の一番の違いは声の音色にある。

 

色彩のない音色と色彩の濃い音色を掛け合わせて歌の世界を作り上げる玉置に対し、ジェジュンの歌は常に色彩のある華やかさを伴う世界だ。

この曲においても、玉置浩二の歌の特徴である色のない世界から色彩豊かな世界へと転換していく音楽に対し、ジェジュンは最初から色のある世界を提示していた。

ここに2人の大きな歌い方の違いがあるにも関わらず、彼らの歌は非常にマッチしており、一つの統一した世界観を作り上げている。

これは玉置浩二がジェジュンの歌を際立たせるような歌い方に徹した結果と言える。

 

「好きに歌ってくれたらいいと思った。最終的には際立っていたしね」と彼は言ったが、ジェジュンの歌を際立たせたのは外でもない玉置自身である。

彼はキーポジションから、一番のジェジュンの歌を受けての歌い方から、さらには呼吸の間の取り方までジェジュンに一致させていた。否、ジェジュンが玉置浩二のそれらに一致させていたとも言える。

それほど彼ら2人の呼吸の間の取り方は同じだった。

 

後半は「好き放題に歌ってくれていい」と言う言葉通り、ジェジュンのソロ歌手としての表現力を余すところなく発揮した歌だった。

クライマックスのハイトーンボイスの断ち切り方などは、玉置浩二の音楽の感性と全く同じと言っていいほど、自由に歌うジェジュンの歌そのものが玉置浩二の歌の世界に同化していたと言えるだろう。

 

それにしてもジェジュンはこの曲でも見事に声を修正してきている。

どの部分のどの音域をとっても喉に落ちてしまっている歌声は一つもなかった。かなり自分の声を点検し、慎重にポジションを取ってどの音域も歌われていると感じた。それが最高音の今までにありがちな喉で押した声にならず、綺麗に伸びのある力強い歌声で響きが抜けていった理由であり、玉置浩二の歌声とのマッチングが見事に完成した部分でもある。

 

ジェジュンという人は、歌手として非常に恵まれていると感じる。

日本の歌手の最高峰であり、多くの歌手の憧れの存在でもある玉置と3年ぶりに企画された「玉置浩二ショー」でコラボし、彼の思い入れのある「メロディー」を本人と歌う機会を与えられるのだから、どれほど恵まれているかわからない。

 

この経験が彼の中の歌手の魂に栄養を与えればいいと思った。

 

なぜなら、彼も玉置同様、魂を歌に乗せて歌う人だからだ。