4月27日は、韓国人歌手ジェジュンが東方神起のメンバーとして日本でデビューした日であり、今年は15周年になる。

今、彼は東方神起の一員なわけでも無く、ソロ歌手として一昨年に日本でデビューをしているのだから、そういう意味では今の彼のポジションに必要な日であるかどうかは疑わしい。

ただ、彼が日本でデビューし、5年間という活動期間がなければ、決して今の彼のポジションはなく、JPOPを歌ってたかどうかすら怪しい。

そういう意味で、彼が15年前に日本でデビューしたという事実は、彼が歌手として歩んできた道のりの中で非常に大きな場所を占めることには間違いないと思える。

 

彼の言を借りれば、「歌手になる前から、日本の曲をよく聴いていた」ということになり、「好きな歌手はHyde」というのはこの15年一貫した答えだ。

そういう土壌があっての日本デビューは彼にどんな印象を植えつけたのだろうかと思う。

JPOP曲を実際に自分が歌手として歌う立場になった時、韓国人の彼の前に大きく立ちはだかったのは、「日本語の発音」だったはずだ。確か、彼がメンバーの中で一番日本語の習得が遅かったと記憶している。

外国語の習得は16歳までが最適という説もある通り、彼の日本デビューは19歳。新しい言語を習得するのには年齢的に苦労が大きかったかもしれない。(最年少のチャンミンが日本語の習得が早かったのは、やはりこの学説を裏付けている一例かもしれない)

 

彼は韓国で日本デビューの一年以上前にデビューしているが、歌手として大きく成長し、成功体験があるのは日本の活動だったのではないかと思う。

それは、韓国での1年間の活動の中では、彼はメインボーカルを担っていないこと。また声域も非常に狭く、今のような歌声では全くなかったこと。さらに彼曰く「声の出し方がわかっていなかった」ということから、彼の歌手としての才能が花開いたのは、日本活動による力が大きかったと思わざるを得ない。

日本でのデビュー当初から、リードボーカルからメインボーカルというポジションになり、多くの楽曲のサビの部分を歌ってきた。しかし、彼の場合、最初からサビを歌えるだけの歌唱力があったのでもなく、広い音域をもっていたわけでもない。

「Begin」で声の出し方がわかった、と言う様に、彼は日本語の歌を歌う中で、声の出し方を覚え、音域が広がり、サビが歌えるような歌手になったということは紛れもない事実である。

 

では、なぜ、彼が韓国では声の出し方がわからなかったのに、日本では声の出し方がわかるようになったかと言えば、

そこに日本語の持つ5つの単純母音の存在があるのだと私は思う。

日本語の母音は「あ」「い」「う」「え」「お」という単純な音声であり、他の外国語にある様な複合母音を持たない。

また言葉は必ず子音+母音の形で作られており、外国語のような子音で終わる単語を持たない。

この日本語の特性が、彼の歌に与えた影響は少なくないと思える。

日本語の歌詞を正確に発音しようとすると、「あ」「え」「お」という母音に於いて、喉を大きく開ける必要がある。曖昧に開けば、言葉が不明瞭になる可能性があり、大きく口を開けてハッキリ発音することが要求されたはずだ。

次に日本語を明確に発音しようとすると、外国人の場合、子音+母音の組み合わせとして発音することが多い。それは母国語の発音が全てそのようになっていることから来る習慣のようなもので、日本人のように「わ」を「わ」の発音とは捉えず、「w+a」の「wa」の発音として捉えることになる。そうすることで日本語の発音が明瞭になる。その音声で歌うには、外国語の持つ発音の特性である「上顎を動かす」という動作になる。これが実はフロントボイスのポジションであり、外国人が言葉を話すと、非常に言葉が明確でよく声が通るというのは、この発音ポジションに起因する。

 

ジェジュンの場合、その発音をするのと同時に、発声法をトレーニングされている。即ち、元々の地声である太い歌声を細い声に作り替える作業をしている。これは、日本人好みの歌声に作り替える、という方針のもとに行われたことで、それが結果的に伸びやかな歌声と広い音域を獲得することになっていく。

作り替える作業の中で、彼は響きの太さをブレス音に変換し、響きを中央に集めることで細い響きの歌声を作り出している。

その為、彼の歌声には常にブレスが存在し、ブレス音を混ぜた歌声になることで、透明性と伸びやかさを獲得したのだと思われる。

またブレス音を多く含むことで、フロントボイス唱法のブリージングを身につけ、エアー(ブレス)の流れに乗せて、前へ前へと歌声を飛ばすテクニックを身につけたと考えられる。それゆえ、彼の歌声は非常に伸びやかで、特に高音部に於いては、天井知らずと感じるほど、どこまでも伸びていく伸縮性のいい音質を獲得していた。

 

これらは、複合母音や曖昧母音、さらに子音で終わる韓国語に於いては、決して獲得出来ない発声ポジションであり、彼が日本語の高音部のサビのメロディーを歌うことで、獲得した発声法と言える。

 

そうやって獲得した日本語の発声に加え、ソロ活動再開後は、語学力の習熟に呼応するかのように、日本語の深い理解力によって言葉の持つ色彩を歌声の変化によって表現するという高い能力を示している。

その為、JPOPの様々なジャンルのカバー曲に於いて、音楽と言葉の持つ世界観の具現力を発揮し、日本人でも表現し得ないような内面の深い複雑な色合いを表現したと言える。

さらに過去のJPOPの曲をカバーすることで、あらためて楽曲の魅力を掘り起こし、彼が歌うことで蘇った曲は数多くある。

外国人の彼が歌うことに依って、それらの楽曲の新たな魅力を引き出し、多くの日本人に再認識させたという点で、彼の歌手力が認められたからこそ、カバーアルバムは企画賞やゴールドディスク賞を受賞することとなり、これらは彼がなし得た大きな功績である。

 

これらの功績は、彼が日本活動ができなかった8年間も、日本での体験を忘れず、また日本語曲への愛着を忘れなかったからこそ、なし得たもので、全て過去の彼の日本活動での成功体験に依るものと感じる。

 

今、彼が8年ぶりに日本活動を再開させ、JPOPのソロ歌手として活動することは、外国人の目から見たJPOPの魅力の再発掘であり、彼が外国人であるからこそ、彼が歌うJPOPに意義があると考える。

 

韓国ではKPOPというジャンルが確立され、このジャンルは日本のみならず、世界の音楽業界を席巻するほどの勢いで広がった。

しかし、今、欧米ではJPOPの魅力を高評価する人が増えており、JPOP音楽が十分世界に通用する音楽であることを示す動きにもなっている。

その中で韓国人である彼が歌うことで、JPOPの良さが日本人のみならず、多くの世界の人に認識されていくきっかけにもなると考える。

 

また、彼がJPOP界で活躍することで、多くの日本人アーティストに改めてJPOPの良さを認識させる影響力を持つものと感じる。

 

15年前、彼が日本で活動しなければ、今の彼の存在はなく、さらにJPOPの良さを再認識することもなかったかもしれない、と考えると、彼が日本の音楽業界に存在していること自体に何か意味があり、彼にしか出来ない仕事や役目があるのかもしれない。

 

彼が歌うJPOPのカバー曲が業界の中で高評価を受けるのを見ながら、そんなことを感じる。

彼がJPOP歌手としてどのように今後、進化し、多くの影響を与えていくのか楽しみでもある。