鬼束ちひろの歌声を久しぶりに聴いた。ちょっと意外だった。なぜなら完全に声が戻っていると感じたからだ。

正直、彼女の歌声はデビュー当時の「月光」しか記憶がない。その時の印象は豊かな声量とソフトな歌声。響きが低音域では幅が広く、中・高音域になるに従って幅が取れ、透明感が増す。そういう印象を持っていた。

しかし、何時ごろだったか、何年か後に聴いた彼女の歌声は、非常にハスキーで全体的に声量も落ち、高音は出ていない、という印象だった。歌声だけを聴いた印象では、タバコや酒の影響を大きく感じ、また長く歌い続けることができるだろうかと思ったりもした。

それから全く彼女の歌声を聴いていなかったので、その間、彼女の歌声がどんなふうになっていたのか、精神的なことも含めて何も私は情報を持たない。

しかし、久しぶりに聴いた彼女の歌声はハスキーさが消えて「声が戻っている」という印象を受けた。また彼女の話の中の「お酒は一切飲まない」という言葉から、一時期の声の不調の原因は何だったのだろうと思ったりもした。

 

「歌声が戻る」というのは、自然に戻るのではなく、必ず本人の努力がその陰にあるはずで、その努力を話すか話さないかだけの問題ではないかと思う。

彼女が選んだ曲もそれまで彼女に抱いていたイメージからは意外な曲だった。

 

「365日の紙飛行機」はAKBの曲である。清楚で綺麗な歌声というイメージを全面に押し出した歌声であり、朝ドラの持つ清々しさを裏付けるような楽曲であり歌声である。

これに対し、彼女の歌声は充実した響きのアルトの歌声でゆったりと豊かな歌として仕上げている。

非常にゆっくりとしたテンポの中で丁寧に言葉を紡いでいく。メロディーラインも彼女の手の動きにあるように、一つ一つの音の動きを丁寧になぞり、意識的に音楽が前へ進むのを留めている、という印象の歌い方だ。

 

サビの部分でもAKBの場合は、少しテンポアップした中で音楽がどんどん前に進み、感情の高揚感を感じるが、鬼束ちひろの歌にはそれがない。ないというのは表面的なものであって、彼女の歌声がさらに充実した響きの上に言い聞かせるように言葉を紡いでいく歌い方は、軽く前に進んでいく音楽ではなく、人生の深みを感じさせながら前に進む楽曲になっている。

即ち、AKBの歌声には若さの香りがするのに対し、鬼束ちひろの歌声には、人生を積み重ねてきた熟年の香りがするのである。

ここに彼女のカバー力を感じた。

彼女独自の楽曲への解釈と思いが溢れ、「365日の紙飛行機」はAKBの楽曲とは全く別の鬼束ちひろの楽曲になっているのだ。

彼女のオリジナル性と彼女独自の音楽性を垣間見ることができる一曲に仕上がっている。

 

彼女がこの日、カバーしたもう一曲の高橋真梨子の「For you」が非常にオリジナルの歌い方を踏襲しているイメージだったのに対し、この曲では完全に彼女のオリジナル性を感じさせた。

 

鬼束ちひろのイメージである「エネルギッシュ」「破壊的」もしくは「破滅的」という印象から程遠い、丁寧に音楽を紡いでいく、丁寧に言葉を紡いでいく、という歌い人としての一面を見たような気がした。