たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
新年最初の記事は、昨年デビュー50周年を迎えた郷ひろみさんです。年末に行われた1日限りの50周年プレミアムコンサート「Hiromi Go 50th Anniversary “Special Version”~50 times 50~in 2022」を拝見してきました。彼の50年に渡る活躍の軌跡と50年歌い続けられる歌声の秘密に迫っていきたいと思います。
鮮烈なデビュー秘話
郷ひろみ(本名原武裕美)は1955年生まれの67歳です。福岡県出身で4歳の時に父親の転勤によって東京に引っ越しました。
幼少期から美少年で評判だったとのこと。その外見から近所のおばさんが勝手に映画のオーディションに応募し、書類審査を通過してしまったために面接を受けにいくことになりました。
オーディションには落ちたものの帰り際にジャニー喜多川氏から声をかけられ、2週間後に渋谷の合宿所を訪ねるように言われます。
合宿所を訪ねるとNHKに連れて行かれ、その場で翌年の大河ドラマへの出演が決まり、その足で旭川に連れて行かれて、当時、人気絶頂だったフォーリーブスのステージでメンバーから「僕たちの弟のひろみです」と、まだ芸名も決まらない段階で紹介されるのです。
その時に会場のファンが彼を呼ぶ「レッツゴーひろみ、ゴーゴーひろみ!」という掛け声を聞いて、ジャニー氏が芸名を「郷ひろみ」とつけた、という逸話が残るほど、彼は嘘のようなデビューを果たしました。
1972年のNHK大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛の弟役で俳優デビュー。同年8月『男の子女の子』で歌手デビューをしました。また、この曲で同年のレコード大賞新人賞を受賞しています。
当時はまだ珍しかった中性的なイメージで一気にファンを獲得し、野口五郎、西城秀樹と共に新御三家と呼ばれるトップアイドルになっていったのです。
彼は転機になった楽曲として1976年の『あなたがいたから僕がいた』をあげています。この楽曲はこの年のレコード大賞大衆賞を受賞しました。
この前年の1975年、新御三家の野口五郎と西城秀樹がレコード大賞候補ベスト10に選ばれたのに対し、彼だけが落選するという経験をしました。この時、自分の歌唱力について、自分自身を叱ったと著書『黄金の60代』で書いているのです。
この時の悔しさが翌年の『あなたがいたから僕がいた』のレコード大賞大衆賞の受賞へ繋がったと言っても過言ではないかもしれません。彼は、ますます自分の歌唱力というものを上達させるという思いを抱くようになったようでした。
コケティッシュな楽曲からバラードまで…常に挑戦し続ける
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郷ひろみ『生き様そのものが郷ひろみ』(前編)人生を変えるJ-POP[第18回]|青春オンライン (note.com)