MISIAのコンサート「星空のライヴ」に行ってきた。

平日の真っ昼間の公演だというのに、老若男女あらゆる世代の観客が押しかけていたのは、如何に皆がライヴというものを待ち望んできた結果とも言える。その期待通り、彼女の歌声は素晴らしいものだった。

実は私は彼女の歌声を生で聴くのは今回が初めてだった。

席は一階席の後方から2列目。上手側の端だった。

当然のことながら彼女の歌声は非常によく聴こえる。それは十分に予想できたことだが、それよりも何よりも彼女のエネルギーが伝わってくるのが素晴らしかった。

「去年のコロナ以来、エンターテイメントは不要不急と言われてきたけれど、こうやって、皆さんと直に同じ空間で同じ時間を感じると、エンタメは本当に不要なものなのかな、と思う」

彼女の呟きは、この2年、エンタメ業界の人間が感じ続けた疑問そのものであり、決してエンタメは不要不急のものではないということへの強い気持ちの現れのようでもあった。

 

同じ空間で同じ瞬間を味わう。

このことによって多くの人は何を得るのか。

それは歌手の歌声からのエネルギーに他ならない。

歌手の歌声が多くの人に感動を与えるのは、そこに歌手の魂が込められているからであり、その熱量が波動となって聴く人に伝わるからである。

ライヴに行くのはまさにその瞬間を味わうために行くのに他ならない。

ある人は活力を貰い、ある人は疲れた精神を癒され、ある人は優しい気持ちになり、ある人は何も考えずにただその歌声に浸りに行く。

そうやって現実から一時離れる。

その空間がライヴであり、まさにその瞬間を味わうために多くの人が会場に足を運ぶのである。

これが不要不急であると誰が言い切れるのだろうか。

 

この日、彼女が歌った曲は、メドレーを入れて14曲。

この日がお誕生日だったという彼女は、「お誕生日にライヴを行い、皆さんと過ごせることが何より嬉しい」と笑顔で話した。

アンコールの前に以前共演したことのあるピアニストの紀平凱成(キヒラカイル)がお誕生日のデコレ品と共にステージに登場し、everythingを即興で披露。澄んだ音色のサプライズが、一層ライヴを盛り上げた。

たまたまお昼の一回目の公演に参加して、その瞬間を味わえたことは、聴衆として幸せな瞬間でもある。

こういうサプライズの瞬間にアーティストの素顔が見え隠れするのもライヴならではの醍醐味であり、アーティストを身近に感じられる瞬間でもあると言えるだろう。

 

この日の彼女の歌で一番印象に残ったのは、「明日へ」

彼女の渾身の歌声が会場に響きわたっている。その歌声のどんな端々にも彼女のエネルギーと魂が込められ、非常に充実したいい響きの歌声だった。

彼女の歌声を今さら、レビューする必要などない。それぐらい完成された歌声であるのがMISIAという歌手である。

細かな批評など超越したところに彼女の歌声がある。

そう感じさせる歌い手でもある。

一つだけ気になることを言えば、近年の彼女の日本語のタンギングだ。

タンギングが以前よりも緩慢になった。緩慢というよりは、角が取れた丸いタンギングに変わった。それは、口先で発音するというよりも、より深いところで日本語を発音する、タンギングよりも声の響きを重視するという方向に変わったとも言えるかもしれない。そのため、以前よりも日本語の発音が不明瞭な部分がある。

これが何か意図として行われているのか、それとも声の響きを重視した結果として現れている現象なのか、それは彼女自身に聴いてみないをわからない。

そこだけが気になった。

 

一緒に行くはずだった夫が急遽行けなくなり、服飾戦略家でスタイリストの内田亜実さんを誘った。

忙しい彼女のたまたまオフ日だったのだ。

「やることはいっぱいあるんですけど、たまには息抜きになればいいかな、と思って。夫も行ってこい!って言ってくれたので。MISIAは昔から大好きなんです」と話しながら雨の中、会場にやって来た彼女が、また明日からの仕事の活力を貰えればいいな、と思った。

そういう力を歌手の歌声は必ず持っている。

そう私は信じている。