2年ぶりに昨年の紅白の視聴率が40%の大台を回復した、という記事を読んだ。

紅白始まって以来の無観客での放送は、「歌を久しぶりにじっくり聴けて良かった」という意見がある反面、「しがらみが見えて中途半端」という批判もある。

私は現代のJPOP界の抱える多極化が見えた紅白だったと感じた。

 

「歌がじっくり聴けた」という感想は、ある意味正しい。

確かに無観客で行われた紅白は、コロナのせいもあって、ソーシャルディスタンスの観点から、いつものようなお祭り騒ぎの企画が皆無だった。

歌手達は、余計な余興に付き合わさせられることなく、自分の出番だけに集中すれば良かった。

また余計な喋りも少なかった為、企画がいろいろあっても進行はスムーズで、その分、歌の時間がいつもより長く感じたのは、落ち着いた雰囲気の中での進行だったからかもしれない。

確かにそういう点で、昨年の紅白はじっくり歌を聴く、歌を聴かせる、という部分がいつもの紅白よりクローズアップされていた。

 

しかし、その反面で、「しがらみによる中途半端感」という印象も否めない。

CDやアルバムなどが売れにくくなり、ヒット曲が生まれにくい時代ではあるが、それにしても全くヒット曲のない歌手が、ジャンルの全体のバランスを取るという理由からなのか、出場していたり、明らかに特定の事務所の歌手が大量に出演していたり、というような忖度とも思える出場者を見ていると、実際の選抜方法はどうだったのだろうかという疑念も湧いてくる。

そういう意味では、純粋に「歌合戦」というイメージよりも、上沼恵美子の言うように「ミュージック・フェアのスペシャル版」という印象は拭えない。

 

そして一番感じたのが、JPOP音楽の多極化である。

このブログを書き出して、かなりの数の老若男女の歌手を扱ってきたが、現在のJPOP界は、歌手の実力が完全に多極化していると感じる。

口パクが当たり前のグループが存在する反面で、自分独自の音楽を作り出す若い世代のアーティストがいる。また長く歌声を保ち続けるベテランの歌手がいるかと思えば、実力を兼ね揃えた若手歌手がいる。

特に今回は、YOASOBIに象徴されるように、新しい形の音楽を提供する若手アーティストや、ある意味、JPOPを牽引し世界に広げてきたアニソンの結実の象徴としての「鬼滅の刃」のLISAなど、実に多種多様な音楽が現在のJPOP界の中に存在していることをあらためて感じるものとなった。

それは、歌手達の実力に於いても、二極化を否めず、非常に高いパフォーマンス力を持つアーティストがいる反面で、アイドル文化という名の下に口パクでも許される者たちがいる、という現象を起こしている。

 

しかし、そういうものも、長く歌い続ける、という観点から考えると、終盤に登場した歌手達は、一種の流行や忖度では決して生き残れない歌手の世界の厳しさを象徴していたように感じる。

 

そして、この多種多様な音楽が雑多に存在することこそが、JPOPの強さであり、日本文化の自由さの証明でもある。

現在、世界を席巻しているKPOPとよく比較されるが、この自由さと多種多様な音楽はKPOPにはない。

 

どんな音楽でも受け入れて自分達のものにしてしまう。自分達の色に塗り替え、オリジナル性を加えていく、という日本独特の特性が、JPOPの音楽にも脈々と流れているのを感じる。

 

多種雑多な音楽こそが、日本文化の懐の深さであり、だからこそ、多角的な音楽の存在がJPOPの特色でもあるのだということを紅白を観ながら感じた。

 

現代のJPOP音楽は多極化の時代に入ったと感じる。

一つの音楽や文化に右に倣え、する時代は終わり、自由に自分を表現する、音楽を表現するということが出来る文化は、ある意味、社会的成熟の裏付けがないと出来ない。

この自由さこそが、JPOPの強みであり、欧米社会に強く打ち出していける特色でもある。

コロナ渦の中、今年はどんな音楽が生まれてくるのか、非常に興味深い。

今年の紅白では、質の高い競演を観たいものだ。