ファーストテイクという言葉がある。
これはいわゆる一発撮り。
一発勝負の撮り直しなしの歌のことを言う。
録音技術が進み、デジタル化が進んで、歌の世界では撮り直しが容易になった。
即ち、歌を確認して、気にいらなければ歌い直し、そのいい部分だけを合成して一曲を作り上げることが容易くなったということである。
だからCDでは素晴らしく歌が上手いのに、実際のコンサートに行くとそうでもない、という状況が生まれたりする。
音楽番組に於いては、明らかに口パクでの演奏を当たり前のことのように扱う風潮もあったりして、それはそれで問題になり、番組によっては口パク禁止などの通達が一時期あったようだが、最近ではまたその傾向が見て取れる。
アイドルなのだから口パクでも構わないではないか、という考えもあるが、アイドルといえども歌うのだから、どうなのだろうと思ったりもする。
そんな風潮に反旗を翻すかのように、「The First Take」という動画サイトが立ち上げられている。
ここでは、歌手がほぼピアノ伴奏、ギター伴奏のみで、自分の曲を一発勝負で歌う。
歌手の前にあるのは、マイク一本とピアノかギターの音だけだ。
アカペラの場合もある。
歌手の歌声は、ほぼほぼ丸裸になる。
息遣いまでわかる状況は、その歌手の日頃決して見られない姿をありのままに目にすることが多い。
ある者はマイクの前で大きくため息を吐く。
ある者は小さな声を出して発声練習をする。
またある者は、何度も身体を揺すって緊張のあまり支えが上がってしまうのを懸命に下そうとする。
腕を上げて肩を動かし、身体を柔軟にする者。
「緊張するね」と笑いながら言う者。
誰もが、一本のマイクの前で、照明もバンドの音もなく、派手な演出もパフォーマンスもない状況下で自分の持ち歌を歌う。
そこには何の誤魔化しもまやかしも通じない。
日頃、撮り直しが当たり前の世界で、決してやり直しの出来ない状況に追い込まれる。
しかし、決してやり直せない、という追い込まれた状況は逆に彼らにいい意味での緊張感と集中力を与える。
そこには、自分と自分の声と伴奏の音だけが存在する世界。
何の邪念もなく、自分の歌声に集中できる世界だ。
そこで彼らは非常にいい歌を披露する。
アカペラに近い歌は、何のパフォーマンスもなく、ただ歌声の一本勝負。
音楽との真剣勝負の世界だ。
サイトが立ち上がった頃、そこに参加する人はJPOPの若い歌手が多かった。
若くそれほど有名でもない。
しかし、気概心に満ちている。
自分の実力をある意味試している。
そんな人達が多かった、
だが最近では鈴木雅之やゴスペラーズ、加藤ミリヤ、Little Glee Monsterなどの実力派歌手がチャレンジしている。
ある程度のキャリアを積んできたものの歌は、それはそれなりに面白い。
彼らは非常に落ち着いている。
そして緊張感を楽しみ、歌そのものを楽しんでいる。
これこそが「歌」の醍醐味なのではないかと思う。
筆者が音大時代、よく言われた言葉は、「歌はやり直しが効かない世界だ。声に出したらもうそれは取り返せない。だから歌う前にどう歌うのか、どんな声を出すのか、よく考えろ」と。
そう、「歌」は何度も何度もやり直せるものじゃない。
一発勝負の世界にこそ、歌手としての存在価値がある。
唯一無二の歌は、その瞬間にしか生まれない。
同じ歌は決して聞くことは出来ないのだ。
松島耒仁子(クニコ)
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