この曲の最初のワンフレーズを聴いた時、「あー、星野源だ」と思った。

そんなに彼の多くの楽曲を聴いていない私のようなものでも、ワンフレーズを聴けば、ああ、星野源だと思う。

それぐらい彼の音楽は特徴的で独特の世界観を持つ。

 

以前、星野源のレビューを1曲だけ書いたことがある。その時、星野源のレビューを書くには、腰を据えて書かないと書けないと思った。それぐらい彼の世界は独特である。

 

私はこの世代のアーティストの中で、「音楽」と「言葉」の融合の世界観を持つのは、三浦大知と星野源が双璧だと思っている。

三浦大知は、「音楽」と「言葉」と「ダンス」の一体化した世界観であり、音のリズムに言葉を乗せて行く世界であり、純文学の匂いがする。

それに対し、星野源は、「音楽」と「言葉」の融合性を表した世界観であり、日本語の単語が持つ僅かなリズム感を鋭い感性で音に乗せていく、という彼独自の感性の世界であり、日本語のリズムに音を乗せて行く世界であり、哲学的だ。

非常に難しい日本語を何の変哲もない日本語と同列に扱い、平気で音符の上に乗せて行くのも彼独特の手法だ。

この曲で言うなら、「日々の恨み 日々の妬み」「日々の嫉み とどのつまり」

普段用いないような日本語と常時使っている言葉とを平気で組み合わせて行く。

その感覚が非常に哲学的であり、音の構成もその哲学に乗っ取ったものを感じる。

 

歌声は彼の場合は、癖のないストレートボイス。

歌声を張り上げるわけでもなく、感情を込めすぎる訳でもない。

そういう客観的距離感も三浦大知と共通するものを感じる。

 

ギターの弾き語りで、訥々と歌い、字余りな言葉を平気で綴って行く。

リズムは言葉の上で居座り、聴いている人間にリズムの間延びやリズムに対する言葉の字余りを感じさせない。

強弱をつけずに、ただ言葉を横に同列に並べて行く。

非常にスローで一言、一言を噛み締めるように歌って行く。

 

横の流れの音楽であり、決してリズムが縦には流れない。

これが星野源の独特のリズム感でもある。

 

機会があれば、彼の楽曲を全曲レビューしてみたいと思った。