この曲は2013年1月発売のミニアルバム「I」の中に収録されている最終曲で彼自身の作。ロックバラードだ。

冒頭の歌声は非常に綺麗な音色をしている。

彼特有のノーズポジションに当たったミルクのような響きだ。

これは彼のいいコンディションの時の歌声で、同じ日でありながら、なぜ、この曲はこのように綺麗な響きをしているかといえば、それは歌詞が韓国語であることによる。

韓国語は日本語に比べて上唇を使って発音する言葉が多い。その為、自然とフロントボイスのポジションになる。

これは韓国語に限らず、欧米、アジア諸外国の言語はその傾向にある。日本語だけが異なるのだ。

 

冒頭から綺麗な中音域の歌声が並び、後半のメロディーがどんどん上行していくフレーズになると、フロントボイスのノーズポジションから歌声は外れていく。

韓国語の持つ母音の為に歌声は扁平的で横にへしゃげたような響きになる。

ノーズポジションから外れる高音域の歌声の抜き場所を彼は忘れているのかもしれない。

この曲を聴きながら、そんなことを思った。

だとすれば、2013年には既に忘れていたのかもしれない。

この曲の後半の高音域をフロントボイスのポジションで歌うと、もう少し彼自身が歌うのが楽になるように思った。

 

いずれにしてもかなり声帯が疲れている感じがする。

長丁場のライブはファンにとっては楽しいものかもしれないが、歌手にとっては負担の大きいものでもある。

長ければいいというものでもないというのは、玉置浩二のライブが一時間半ぐらいでも満足出来ることが証明している。

一度や二度のコンサートなら、長時間もありかもしれないが、移動日を挟んで各地を回るツアーの場合は、歌手の疲労度は半端ではないだろう。

だからと言って、どこかで長くしてしまえば、その後の会場からはそれが当然の時間になる。またファンもそれを要求する。

だからツアーでは2時間弱のコンサートが主流を占める。

これは歌手のコンディションと喉を守るためのものでもある。

 

彼も長く歌手を続けていくなら、コンサートの時間は短くすることを考える時ではないか、と思う。

今までのように年に一日か二日歌えば、次があるかどうかもわからないようなライブと違って、何箇所も回り、さらに次のライブも予想できるような日本の当たり前の歌手になったのだ。

コンサート時間の根本的な考えの変換が必要で、今のスタイルを続けるなら、声帯炎などの障害を避けては通れないかもしれない。

氷川きよしを始め、多くの歌手が声帯炎からポリープや結節になっている。

それは過酷なコンサートスケジュールにも一因があると感じる。

 

長く歌い続けるためには、喉の酷使は禁物だ。

そんなことを思いながら聴いていた。