リクエストを頂いて、この歌の動画を観た。
私は確かにこの人の世代といえばそうなのだが、記憶の中にあるのは、チャゲアスの頃の歌を少し覚えているぐらいで、ほとんど記憶がない。そしてチャゲの方が好きだったのを覚えている。
だからこの人の歌も凄さもほとんど記憶がなく、その後の一連の報道で動向を知るぐらいだった。そして復帰したのも知っている。
私が観た動画は、2008年のシンフォニーコンサートのものだ。
ほとんどこの人の歌声に記憶がないから、新たに聴くという感じだった。
非常に豊かな歌声だ。
声質は混濁した響き。その響きの中に様々な色が存在する。
豊かな声を支えているのは、豊かなブレスだ。
この曲は全編、歌うというよりは心の中からの迸るような叫びに近い歌声だ。
全編を非常にエネルギッシュな歌声で歌い通し、どこにも一切抜いたものがない。
全ての音節、全てのフレーズを力強い歌い声で押し通している。
またサビからの後半のクライマックスでは、さらに叫びにも近いような歌声が披露されていく。
これでもか、これでもかと繰り返されていく歌声は非常に豊かだ。
音楽を決して前に進めず、自分の側に留め置いて、歌いきる。
音楽が前に進むのを歌声で引き留め、一つ一つの言葉を噛み締めるように伝えていく。
たっぷりとしたシンフォニーの音楽を真正面から受け止めるだけの器の大きさを持つ。
スケールの大きな楽曲であり、この人の歌唱力がなければ楽曲として成り立たない。
ゆったりとした音楽の流れの中で、一つ一つの言葉が立っていく。
噛み締めるように歌い上げていく手法は、聴衆の中に言葉が留まり、まるで映像のようにワンシーンが映し出されていく。
そんな音楽だ。
これほどゆったりとした音楽をこれだけの声量で歌い上げていくことは、誰にでも出来ることではなく、彼の曲は彼が歌ってこそ、その世界が成立することがよくわかる。
このように声量が豊かでエネルギッシュに一歩も引かずに歌うタイプの歌手は、自分の歌声を誇示した歌い方をする人が多い。楽曲を自分の中に取り込むのではなく、楽曲の中に自分の色をねじ込んでいく。力づくで自分の色に染め上げていく。
そんな音楽を感じる人が多く、私はそういう歌手を好きになれない。
しかしこの人の歌には一切そういうものがない。
これほど豊かな声量で迸るような感情を歌い上げながら、一切、自分を音楽に押しつけるところがない。
楽曲を自分の側に取り込んでも、そこには楽曲に対する優しさが溢れている。決して自分の色に染め上げるのではなく、あくまでも楽曲の世界観を具現しようとする。
歌手として一番基本となるスタンスがきちんと出来ている人だと思った。
この人には音楽が全てなのだということがよくわかる。
音楽をこの人から奪うことなど誰にも出来ない。
音楽があるから生きてこれた。
音楽があったから立ち直れた。
何度、挫折してもこの人に音楽がある限り、必ず不死鳥のように蘇る。
音楽だけは手放さない。
心から血を流しながら歌っている。
そんな歌声だった。
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