城田優がInsta.にあげた自作曲「Laugh&Peace」を聴いた。
こんな時なので曲を作りました。
あなたに笑顔が戻りますように。
曲と共にあるメッセージだ。
2分足らずの短い楽曲の中だが、彼のアーティストとして、クリエイターとしての才能が垣間見える楽曲だった。
それだけでなく、こんな時だからこそ、歌手のそれぞれのスタンスが見えてくる。
三浦大知は自身のツアーが次々と中止になる中でライブが開催される予定だった日には、Insta.ライブで楽曲を3曲歌うという企画をトークと共に行っている。最初の頃はアカペラだったりしたが、昨夜、久しぶりに拝見したら、手振り身振りで伴奏に合わせて歌う形に進化していた。さらに次の日程では別の企画も考えていると話していた。
玉置浩二もこの状況の中で専用のYouTubeチャンネルを開設している。
次々とコンサートやイベントが中止される中で、何とか音楽を通じてファンとコンタクトを取ろうとする姿勢が多くの音楽関係者に観られる。
昔と違って音楽番組が少ない現代では、ライブやコンサートが唯一のパフォーマンスの場所というアーティストも少なくない。
イベントやライブが一斉に中止され、アイドルグループ全盛のパフォーマンスの弱点をある意味曝け出している。
城田優や三浦大知のように個人でパフォーマンスするアーティストはこのような状況下でも自分の音楽をSNSを使って配信することが可能だが、アイドルグループのような団体の場合、ほぼ対応出来ない。
また、バンドもない、照明もない、演出もない。
そこにあるのはマイクとカメラだけ、という世界において、その歌手の実力が曝け出される。
何の誤魔化しも効かない世界で素の歌だけで勝負していく世界だ。
そういう状況に対応出来るだけのスキルとフットワークの軽さが求められている。
これはある意味、アーティストの在り方の原点を求められている。
昨今の日本のアイドルグループ音楽の本質への警鐘ともいうべき状況とも言える。
芸能人にとって一番怖いことは「忘れられること」だそうだ。
それから言えば歌手だって同じだろう。
ライブもイベントもなければ僅かに放送される音楽番組の出演権の取り合いになる。
ライブやイベントの自粛は、パフォーマンスの封じ込めであり、表現する場が奪われた形だ。
表現する場所がなければ歌手は死んだも同然になる。
そんな状況の中で、どうやって自分を表現していくのか。
それは歌手全員に突きつけられている課題のようなものだ。
TVの特番に出演して歌えるのはごく限られた人数しかいない。
今までライブを中心とした活動をしてきたアーティストなら、さらに深刻だ。
当たり前にできていたこと。
CDを出し、コンサートツアーを行う、という当たり前のやり方が通用しない今。
僅かの露出の機会を捉えて、自分から発信していくという歌手としてのパフォーマンスのあり方の転換を求められている。
コロナウイルスによる自粛は、捉えようによっては、音楽と向き合う時間が取れる。
自分の中に実力を蓄える時期として活用できる時間だ。
作曲、作詞。
表現活動は歌うこと以外にもたくさんある。
当たり前のことが当たり前でなくなる世界。
音楽とどのように向き合っていくのか、どのようにこの状況を自分の中で昇華させていくのか、個人個人の実力とスタンスが問われている。
城田優がギターを弾けるとは思わなかったし、自作曲を披露するというフットワークの軽さも知らなかった。
しかし、ちょっと考えてみればわかるのである。
彼の歌の柔軟性。既成概念に捉われない音楽の解釈。
そんなことを考えてみれば、曲を作り、気軽にファンに提供する。
そんなスタンスは彼ならではの気安さであり、ミュージカルの演出家としてのクリエイターの資質から言えば当たり前のことだったのかもしれない。
それでも実際に行うのと行わないのでは、そこに大きな溝がある。
彼はその溝を持ち味の長足でいとも簡単に飛び越えただけなのだろう。
三浦大知のライブ配信の気軽さも同じだ。
そこには「三浦大知の音楽に触れてほしい」「音を楽しんで欲しい」という彼の恒常的スタンスが流れている。
どんな形でもいいから、ファンと触れ合ってファンに音楽を提供する。
そういうたゆまない彼の音楽への希求心がそこには流れている。
いい機会になる。
この状況が改善された後、どれだけ進化しているのか、それぞれの過ごし方が形となって現れてくる。
音楽とは、そういうものだ。
歌手とはそういう職業だ。
そういうことをあらためて、問われている。