平原綾香のコンサート「幸せのありか」を聴きに行った。
堺市民ホールを建て替え、フェニーチェ堺と名付けたコンサートホールの実質こけら落とし公演だった。
彼女の生歌を初めて聴いた。
「歌声のマーケット」
そう思った。
彼女は様々な色の歌声を持つ。
低音部は太く濃厚な色合い。中音域から高音部にかけてはミックスボイスとヘッドボイス。さらに高音部における細く透明感のある歌声。
彼女の歌声を聴きながら、「色彩のマーケット」という文字が浮かんだ。
これらの歌声を組み合わせて彼女は歌う。彼女の中にある音楽は、どんな時も一本の線で繋がり、綺麗な音の弧を描く。
「サックスを吹くように歌う」と彼女が話していたことがあったが、豊かなブレスに載せられ、低音部から高音部まで自由自在に操られる歌声はまさに吹奏楽だ。どんな時も決して息切れしない歌声はパワフルというより非常に丁寧に音を紡いでいく楽人という印象を持った。
私は彼女の歌を聴きながら、言葉を追いかけるのではなく音を楽しんだ。
自分自身も歌を歌う人間として、彼女の発声のポジショニングに非常に興味があった。
音を楽しみながら、彼女が肉体のどの部分に声を当てているのか…
一音、一音、そんなことを思いながら聴いていた。
ある時は鼻腔にあたり、ある時は胸に響かせる。またある時は頭頂部から抜けていく。
そんなポジショニングを使って自由に歌声を操る様は、まさに吹奏楽の世界だと感じた。
ただ一点だけ残念だったのは、彼女の歌声の響きにホールの規模が合っていなかったと思われる点である。
彼女の太い響きの歌声の時、言葉が不明瞭に感じることだった。
フェニーチェ堺は、「どの場所で聴いても同じように聴こえる」というのがホールの特徴だそうだが(彼女がMCでそう話した)彼女のように豊かなビブラートを持つ歌手の場合、果たしてホールの規模が彼女にあっていたかどうかは疑問が残った。
「私、結婚します」のようにビブラートを消して、細く明るい声で言葉のタンギングを立てて歌うような歌は明確に聴こえていたが、中音域から低音域にかけてのビブラートの効いた歌声では、ホール全体への反響と残響によって言葉が不明瞭になることがあった。
「最近はクラシックの曲のカバーを積極的に歌う気持ちになれなくて…」
「また色々言われると、私も傷つくから」
控えめに話した言葉には、彼女がクラシックの楽曲をカバーすることに一部の批判のあることを暗に示唆するものだったが、「I Love You」や「アランフェス協奏曲〜Spain」などはやはり彼女以外に歌える人間はないものであり、彼女だからこそ確立してほしい世界観でもある。
そういう意味で「Jupiter」は、デビュー当時の歌声から明らかに彼女が進化しているのが感じられる充実した歌声だった。
「彩のマーケット」
そう感じるほどの多種多様な色合いを持つ歌声を使って彼女が、今後、どのような音楽の世界を構築していくのか、非常に興味深い。