徳永英明のコンサートに出かけた。
彼の生歌も初めてだったが、最近、彼の姿をよくTVで観ているせいなのか、なんの疎外感もなくコンサートにとけ込んだ。

前夜の平原綾香が「声のマーケット」なら、徳永英明は「倍音の世界」だった。

多くの歌手は非常に力を入れて発声する。特に絶唱型と呼ばれる人にその傾向は強い。身体を前屈させ、腹筋背筋を使って、ブレスをポジションに当てて力強く歌う。誰もが取る発声法だ。しかし徳永英明の発声にはそれが見受けられなかった。

私は彼のファンでないから彼がどのような変遷を辿って今の歌声になったかわからない。ただ、一時期、声が落ちたと感じることがあった。それは病気のせいだったかもしれないし、加齢のせいだったかもしれない。しかし、何れにしても昨日の彼の歌声は声量が戻っていた。特にサビに向かって歌い上げていく部分、エネルギッシュに歌い上げていく部分での声の充実感は、聴衆を十分満足させるものだったと思う。

彼の発声は、すべての音域において非常に楽に出している。多くの歌手が声を頭頂の後頭部に当てて歌うのに対し、彼は顔面の前に当てて歌う発声だった。即ち、額から眉間の部分に当てて、空気の流れに声を載せて歌う手法が取られていると感じた。そのため、どの音域の歌声も彼自身にまとわりつかず、前へ前へと飛んでいく。空気の流れに任せて歌声が飛んでいくのだ。

彼の特徴的な歌声はこの手法によって倍音が発生しているのだと感じた。

「倍音」

音が響く時、単音ではなく複数の音が同時に響くことを言う。たとえば、真ん中の「ド」の短音を出しても、真ん中のドだけでなく、1オクターブ上のドの音やさらに上のド、または1オクターブ下のドなど、複数の音が同時に鳴っている状態を言う。

これを持つ歌手は非常に限られている。美空ひばりが代表的な歌手だが、徳永英明もそれを持つと言われている。これを持つ歌声がいわゆる「ヒーリングボイス」と呼ばれる「揺らぎ」に繋がっていく。
それは概して、ビブラートを持つ歌手に多い。

徳永英明の歌声は唯一無二のものと言われる。
確かに昨日の歌声も倍音がいくつも同時に鳴って幅広い色合いを見せた。
倍音は、中音域から高音域にかけて主に現れるもので、低音域では、彼の歌声は非常に甘く濃厚な歌声であり、そこには倍音が存在しないということも昨日、実際に彼の歌声を聴いて感じたことだった。

「レイニーブルー」

何度も聴いたこの曲を初めて彼の生歌で聴いた。
まさに倍音の世界。
心地よい倍音に包まれて、オリジナルの歌声を聴くのは、最高の贅沢な時間だ。

コンサートでは十分に歌が聴きたい。
MCやファンとのやり取りは、歌の余韻を邪魔しない程度がちょうどいい。熱狂的なファンのかけ声を上手にあしらい、ファンとのやり取りも上手く処理して、歌の感動が途切れないように進める手腕はさすがだ。

そんな事を感じながら、熱狂的なファンの声援もちょうどの合いの手になっているのを感じた。

倍音を持つ彼の歌声は来年、還暦を迎えてもきっと若さを保ったままなのだろう。
彼の発声法なら、歌声が老化しない。

そう思った。