三浦大知のデビューは、1997年。変声期の活動休止期間を考慮したとしても、ソロとしてのデビューも2005年。

「Folder」のメインボーカルとしてデビューしたときから、vocalistとして、dancerとして、非凡なものを持っていながら、多くの人に認知されるまでに長い時間を要した。

三浦大知と言えば、無音ダンスに代表されるように、dancerとしてのパフォーマンスへの評価が際立つが、実は、彼ほど、しっかりと歌える歌手は、今のJPOP界を見渡しても、思い当たらない。

彼の歌の最も優れている点は、日本語の明確さにある。

即ち、彼の歌は、「言葉が立つ」のだ。

JPOPの歌手にとって、日本語ほど厄介な存在はない。

多くの歌手が、日本語を明確に伝える為にどれだけの努力を要しているかは、想像が出来ないだろう。

実は、日本語は、歌に最も適さない言語と言われている。

その理由は、日本語の言葉の構成に起因する。

多くの言語が、母音と複雑母音を持つのに対して、日本語は、「あ、い、う、え、お」という5つの母音しか持たない。

この5つの母音と、子音の組み合わせによって、日本語のすべての音は出来上がっている。

また、多くの言語には、子音で終わる単語が存在するが、日本語に子音で終わる単語は、存在しない。

子音で終わる単語が存在しない日本語は、言葉自体に緩急もなければ、強弱もない。

要するに、日本語は、「平坦な言語」ということになる。

反して、音楽は、緩急と強弱の繰り返しだ。

平坦なリズムは、フレーズとフレーズとを繋ぐ役目か、クライマックスに向かうまでの助走部分でしかない。

音楽はリズミカルで、常に前に動き、緩急や、強弱によって、構成されていく。

その音楽に平坦な抑揚のない日本語の言葉がつけられているのが、JPOPであり、とくに、緩急のない日本語をリズムに乗せて歌う事に歌手は先ず苦労する。

緩急のない言葉、強弱のない言葉のタンギング(唇や舌を使って、言葉の発音をハッキリさせること)を如何に処理するかによって、聴衆の耳に日本語が明確に伝わるかどうかが、歌手の力量の一つの目安になる。

その日本語の処理能力が、三浦大知は、抜群に上手い。

今のJPOP界に於いて、彼の右に出る人はおそらくいないだろうと考える。

彼の歌を初めて聴いたとき、日本語が見事に立っていると感じた。

ある音楽フェスティバルで彼の生歌を聴く機会を持った。

音楽フェスティバルだから、当然、彼のファン以外の人間もその場に多くいた。

彼は、自分の歌を聴いた事のない人たちへのアプローチが実に上手かった。

初めて聴く音楽。

それでも明確に伝わる彼の歌の言葉の一つ一つは、確実に聴衆の耳に届き、彼の意図する方へと導いていく。

どんなに声が良くても、どんなに声量があっても、言葉が明確に伝わらない限り、聴衆は、曲を音でしか捉えられない。

短時間のパフォーマンスで、何万人もの聴衆を一つにまとめあげ、自分の曲に引きずり込むには、明確な「言葉」が必要なのだ。

歌詞の言葉が立っていなければ、聴衆は、耳で捉え、理解することが出来ない。

多くの歌手は、声に頼りがちだが、明確な言葉が立ってこそ、聴衆の心を捉えることが出来るという一面を歌は、持つ。

だからこそ、ミュージカルの歌手は、言葉の処理を非常に大切にする。言葉が伝わらなければ、歌が伝わらないからだ。

どんなに素晴らしい声で歌われても、語尾のハッキリしない歌、言葉の不明瞭な歌は、聴衆の心を掴むことはできない。

歌手としての三浦大知の最大の魅力は、その明確な日本語にある、と私は思う。

そして、その能力は、彼がデビューした9歳の頃から、なんら変わることのない能力なのだ。

歌手としての彼の魅力の部分について、書いていこうと思う。

変声期前、変声期後の彼の歌声がどのように変遷したのか、また何が変わって何が変わらなかったのか…

これからJPOP界を牽引するであろう彼の歌声について、歌を専門的に勉強してきた人間として、書いていきたいと思う。