歌手にとって、「声」は生命線であり、命綱である。
そう、即ち、歌手にとって「声」は何者にも変えがたい武器なのである。
この武器を使って、仕事をする。
これが「歌手」という仕事である。
歌手にとって、どのような「声」を持っているのか。
これは歌手人生を決める大きな要素である。
なぜなら、誰もが歌を聴く時、まず耳に入ってくるのは、「歌声」だからだ。
確かに「あの歌詞の〇〇のところがいいよなー」とか「あの歌詞の〇〇の部分にジーンと来た」
「歌詞の内容に感動する」と人はよく言う。
しかし、その歌詞を単なる平面上で、文字だけで読んだときと、歌手の「歌声」によって表現された「歌」を聴いた場合では、感動は異なるのではないか。
即ち、文字だけの世界、二次元にある「歌詞」よりも、人は三次元の世界「歌手によって歌われる歌詞」の方が、ずっと感動するのである。
それは、歌手の歌声と歌詞の言葉がマッチングして、一つの世界を構築するからに他ならない。
確かに「歌詞に感動する」ことはあるだろう。
しかし、それは歌手によって歌われていなければ、多くの人の目に止まることはなく、多くの感動を呼ぶかどうかは、甚だ疑問である。
歌詞の言葉の世界を構築する重要な要素の一つに「声」があるのは、確かなことだ。
「声」は唯一無二のものである。
声紋と言われるものがあるように、人間の「声」はその人だけに与えられたものであって、同じ声を持つ人はこの世に存在しない。
そう、歌手の声は、世界にたった一つなのである。
そして、それはあなたにも誰にも当てはまる現存とした事実である。
この唯一無二の「声」を使って彼らは、「歌う」という仕事をする。
そこには、誰にも真似のできない唯一無二の世界が存在する。
中島みゆきの「糸」という曲は、実に30人以上の多くの歌手がカバーしている。
正式に配信、または売り出されたものだけでもこれだけの数だから、各種音楽番組やコンサートなどで歌われた数を含めれば、数限りなくあるに違いない。
それほどの名曲である、と言える。
ある人は、福山雅治の「糸」に感動し、ある人はATSUSHIの「糸」に感動する。
またある人は島津亜矢の「糸」にエネルギーを感じ、中島美嘉の「糸」に切なさや儚さを感じるだろう。
同じ曲であっても、同じ歌詞の言葉を歌っているのに、歌われる歌声によって、その曲相は大きく異なってくる。
この違いが、単に二次元の平面上に描かれた歌詞では伝わってこない。
そして、平面上に書かれた歌詞を読み取っているのも、実は無声の中にある自分の声である。
この事実を多くの人は知らない。
どんなに黙読しても、自分たちの身体の中で、自分の声によって、それらのものを読み取っているのである。
それほど、「声」という存在は、私たちにとって切っても切れない存在である。
歌手達は、自分が持って生まれた声、そう自分にしかない「唯一無二の声」で歌の世界で勝負する。
彼らにとって、「声」の存在は、自分という存在価値と直結するコンテンツである。
「甘い声」
「儚い声」
「エネルギッシュな声」
「野太い声」
「透明感溢れる声」
「色艶のある声」
「ハスキーな声……etc.etc.
実に多種多様な形容詞で彩られる歌声の世界。
この歌声を持って、彼らは自分の音楽の世界を構築し、オリジナリティーを追求する。
歌声という武器に磨きをかけ、人に「歌」を提示してくるのである。
そして、誰々、と言えば、甘い声が特徴だとか、やれ、ハスキーな声が魅力的だとか、様々な評価と共に、歌手達のイメージは多くの人達の記憶の中に留まっていくのである。
多くの人が「私は〇〇の歌声が好き」という、「歌声」を自分の最大の武器として、仕事をしていくのである。
実に歌手にとって「声」は、歌手人生を左右する大きな武器であり、それを戦略的に使って成功した人間だけが、生き残っていける世界でもある。
だからこそ、歌手にとって「声」は直結したものであり、「声」無くしては、歌手人生はありえない。
天から与えられた唯一無二の「声」を武器に、人生を作り上げていく。
実は、「声」が人生の戦略に直結したコンテンツである、ということは、歌手だけに当てはまらない、ということを多くの人は知らない。
「声」はその人のイメージを作り上げる重要なコンテンツなのである。
思い出してみて欲しい。
あなたの記憶の中にある友人達や知人、さらには、好きな芸能人を思い浮かべるとき、あなたは先ず彼らの顔を思い出すだろう。しかし、それと同時に「声」が多くの中で蘇ってくるはずである。
「どんな声だったか思い出せない」
そういうのは、関係性がそれほど深くない場合だろう。
近しい人、親しい人、好きな人、
必ず、顔と一緒に「声」を記憶しているはずである。
そして、その「声」そのものに惹かれる場合もある。
初対面の人と会ったとき、
先ず見るのは、容姿だ。
しかしその次に入ってくる情報は、その人が発する言葉と同時に「声」である。
私たちは無意識のうちに、その人の容姿から、その人の「声」を想像している。
そのイメージに合った声、それ以上の声をその人が発した場合、その人に対する好感度はさらに増す。
反対にイメージと全く違う声を出されたとき、意外性に驚いたり、落胆したりを無意識で行なっているのである。
即ち、私たちは、無意識のうちに容姿から瞬時にその人のイメージを自分の中に作り上げているのである。
「なんとなく出会った時から違和感があった」
「なんとなく出会った時から好感が持てた」
こういう印象によって、自分の身を無意識に守っているとも言える。
しかし、多くの人は、その印象を忘れ、親しく交流する中で、その違和感を手放してしまう。そしてトラブルにあったり、裏切られたりすることで、そのことを思い出すのである。
第一印象というものは、それほど的確にあなたに相手の印象を与えているものでもある。
その印象を判断する大きな要素に、その人の発する「声」と「話し癖」がある。
実際に話された声、言葉によって、多くの人は相手に対するイメージを作り上げていく。
「声戦略」という考え方は、歌手だけでなく、全ての人にとって、「声」というコンテンツが、自分を作り上げる重要なアイテムであることを自覚することから始まる。
信用も、信頼も、全ては自分が相手に与えるイメージから始まる。
「声戦略」で「人生を変える」という生き方は、誰もが人生を変える簡単な方法なのである。