氷川きよしの配信曲『革命前夜』を聴いた。

この曲は6月から始まっている明治座、新歌舞伎座、博多座といういわゆる芝居とショー「2022年 氷川きよし特別公演」の主題歌となっており、7度目の座長公演を今、開催中である。

今年いっぱいで無期限活動停止を発表した彼の活動期間も残り半年を切った。

演歌でトップの座についた彼のここ4年ほどの変貌ぶりは、素直に受け入れられる人と違和感を持って受け入れられないと感じる人に別れるだろうと思う。やはり演歌氷川きよしの姿に固執する人は少なくない。

しかし、私は、今の彼のほうがずっと自由で魅力的に見える。

 

この曲は配信とのこと。

これも今までの彼のスタイルにはないものだと思う。

(演歌はなぜかサブスクに音源が公開されないことが多い。あくまでもCDを売るという戦略なのかわからないが、今の若い人はサブスクで音楽を聴く。演歌はそういう点でも時代の流れと共に大衆音楽というジャンルから外れていきそうな気がする。今の時代、わざわざCDまで購入して曲を聴くというのは年代的に限られた世代になるのではないか。今やCDはグッズのようなポジションだから、そういう点からしても演歌の広がりは難しいと感じることの一つだ)

 

そういう演歌というジャンルから離れて、自由に歌いたいものを歌い、表現したいことをして、そして自分の着たいものを着る。

彼のInstagramには、本来の彼の姿が力強いメッセージと共に描かれている。そんな自由な姿の氷川きよしは非常に魅力的だ。

そしてこの4年で一番変わったと思うものに彼の歌声がある。

今年初め、喉の不調を訴え、最終的にはポリープを切除する手術を選択した彼の歌声だが、この音源を聴く限り、手術による影響は見られない。伸びやかな声もボリュームもしっかり戻っているし、音色も変わらない。

 

この楽曲を聴きながら感じたのは、彼の歌声が完全にポップス系の発声になっているということだろう。

『革命前夜』に使われている歌声には、演歌の歌声はどこにもない。特に低音域のフレーズの語尾の響きの抜き方などは、完全に彼がポップスの歌い方をマスターしたことの現れだと感じる。

 

4年前に彼が歌うポップスのカバー曲を聴いた頃、一番気になったのは、この低音部の響きにあるうねりだった。

いわゆる演歌独特のビブラートである。

ビブラートには大きく分けて2種類がある。

ポップス系のビブラートと演歌系のビブラートだ。

ポップス歌手の持つビブラートの特徴はフレーズの最後、ロングトーンの最後に響きの中で自然に現れるものだ。

これに対し、演歌のビブラートは、音程の幅で小刻みに現れるのが特徴で技巧的につけることが多い。

いわゆるウネリというもので、大きな幅で揺れる。

この演歌特有の歌い方が、氷川きよしのポップスの低音部にはあった。

その為、どんなにポップスを歌っても低音部のフレーズにあるウネリによって、今一つ、演歌色が抜けきらない歌になっていたのを思い出す。

だから、その頃の私のレビューにも、このウネリが無くなって、響きを抜く歌い方をマスターすると彼の歌はもっとセンスの良いものになるというような主旨のことを書いた記憶がある。

長年の演歌の癖が抜けきらないのを感じる歌だった。

しかし、あれから4年、彼の歌い方は完全にポップス曲のテクニックを身につけている。

即ち、この「響きを抜く」という歌い方をマスターしているのだ。

この楽曲でも何度も低音部のフレーズは出てきているが、その度に絶妙のバランスで語尾の響きを抜いてくる。そうすることで、彼の歌声の甘い響きの部分だけが残響になって残る、という効果的な歌声になっている。

 

元々、彼の声はストレートボイスで、演歌向きではない。

演歌を歌うために様々なテクニックや発声の仕方を身につけて、氷川きよしは出来上がっていた。

その形をやめて、自然体の歌声で歌っているのがポップス曲と言えるだろう。

 

活動を再開したとき、彼の歌声がどのように進化しているのか、

また演歌というカテゴリーの括りから自由になった彼が、どんな音楽を選んでくるのか、非常に楽しみでもある。

 

『革命前夜』は、その始まりなのかもしれない。