氷川きよしが今年2月に発売した35枚目のシングル。オリコンチャートで2位を獲得した。

彼の新しい出発の曲でもある。

この曲はオーソドックスな形式の歌謡曲である。

最近では珍しくなった歌謡曲だが、派手なパフォーマンスもなく、シャウトする叫び声もなく、淡々と歌を紡いでいく歌唱力が勝負の曲だ。

この曲で彼は歌手としての実力を遺憾無く発揮している。

 

ストレートな響きの歌声は非常に透明感溢れ、響きの混濁はない。また演歌の時にありがちな低音部のうねりや特有のこぶしも一切見られない。

淡々と言葉を丁寧に一言一言、聴衆に伝えるように歌い紡いでいく。

彼の日本語は非常に明解で、特にこのようなスローな曲の場合、彼の持つ言葉の処理能力のセンスが光る。

 

日本語は何度も書くように歌に最も向いていない言語だ。

それは発声ポジションの難しさもあるが、もう一面で言葉に一切の抑揚がないことが西洋音楽のメロディーに乗りにくいという欠点を持つ。

どの言語もアクセントを持ち、一つの単語の中に強弱とそれに伴うリズムを持つ。

ところが日本語だけは強弱もなければリズムもない平坦な言語である。

そのために、特にスローな楽曲に言葉を乗せた場合、言葉が音節にならず、バラバラの文字になってしまいがちである。これが歌詞が不明瞭になって何を歌っているかわからない、という状況の原因となる。そのため、昨今のJPOPでは単語を一つの音につける、または早いリズムの刻みによって言葉にリズムを与える手法が取られ、それがメロディーの小刻みな展開の楽曲を作り出すこととなり、歌手の声帯に非常に負担をかける要因になっている。その為、音声学専門の耳鼻科医師などは、「メロディーをレガートに繋ぐ楽曲が歌手の声帯の負担を避けるのに望ましい」と提唱するような事態になっている。

そういう点から考えると、「母」という楽曲は非常にスローでレガートを多用するメロディー展開になっており、歌手にとっては声帯的には負担の少ない楽曲と言えるだろう。

しかしその反面で、日本語の持つ特有の欠点を克服する歌い方を要求される。即ち、言葉にリズムがないという点だ。

この点を氷川きよしは見事に解決している。

言葉の音節に緩急と強弱をつけることによって、単語を明確に浮き上がらせ、歌詞の内容を深く聴衆に伝えている。

このような言語処理能力は、演歌では感じ取れなかった能力であり、ポップスの楽曲を歌ってこそ、発揮されるものとも言える。即ち、氷川きよしはもうすっかりポップス歌手なのだ。

発声の面、言語処理能力の面において、彼は押しも押されもしないポップス歌手である。

それが若い世代の新しいファン層を獲得することに繋がっているのである。

 

「自分のやりたい音楽をやる」「歌いたいものを歌う」「自分のありのままの姿を見せる」

こう言って、彼は路線変更をした。

歌手として大きな挑戦である。

そしてその挑戦は見事に成功している。

演歌を歌う彼しか知らなかった人は、彼の新しい姿を知り、既にポップスを歌う彼を知っている人は、彼の培った音楽性や引き出しの多さに新たな魅力を感じる。

 

人々がすっかり忘れ去っていた歌謡曲の王道をこの曲は思い起こさせる。

伸びやかな歌声やストレートな響きからは、演歌の面影も感じられない。

 

新生氷川きよしの今年の活躍は新しい風をJPOP界に吹き込むだろう。

6月に発売されるポップスアルバムが非常に楽しみだ。