氷川きよしが来年から無期限活動休止に入ることが波紋を呼んでいる。
私はファンほど彼の事情を知らないから、どうのこうの語る資格はないかもしれない。それでも音楽業界の端くれにいるものとして、それなりにいろいろ思う。
氷川きよしと言えば、演歌のプリンス、という名称が使われ始めて、もうずいぶん月日が経つ。
私のように若い頃から音楽評論を書いていたわけではく、普通にクラシックの音楽の世界で生きていた人間からすれば、氷川きよしと言えば、演歌、というイメージしか浮かばない。
職業柄、中途半端に上手い歌手の歌に拒否反応を起こす耳を持っていた私は、それでも彼の歌は好きだった。
演歌という全く興味のないジャンルでも、彼の伸びのある歌声や歌いっぷりの良さが好きだった。
コンサートに行ったり、CDを買ったりするようなファンではなくても、どちらかと言えば、氷川きよしは好きな歌手で非常にライトなファンという位置づけだっただろう。
でも彼には私のようなファンが多いはずだ。だから、長年、あれだけの人気を誇る事が出来ているとも言える。
とにかく、私は氷川きよしが演歌歌手の中では好きだった。
彼が歌うポップな演歌は、それだけで楽しかった。中には私的には好きでない楽曲もあったが、だからと言って彼の評価が私の中で下がることはなかった。
そんな彼に個人的に興味を持ったのは、3年前のNHK『うたコン』で『限界突破✖️サバイバー』を観たときだ。
この曲は既に前年にブレイクしていたのだが、J-POPの音楽評論に本格的に取り組み始めたばかりの私は、全くそういう話題すら知らなかった。
だから、彼の変身ぶりには驚嘆した。そして、同時に素晴らしいと思った。
何が素晴らしいかって、演歌という枠の打ち破り方が半端なかったからだ。ここまで自分のイメージに捉われず、やりたいことに振り切れる潔さに惹かれた。
彼という人物が非常に魅力的に思えたのだった。
それから彼の動向に関心を持つようになった。すると彼は、その年のバースデーコンサートで自ら演歌歌手のカテゴリーを外したのだ。
ちょうど私は、あの頃、それまで自分の推しだった人のコンサート以外に出かけた事がなかったのを、本格的に評論活動を始めるのに、あちこちのアーティストやコンサートに出かけていた。
三浦大知や松田聖子、平原綾香や玉置浩二、徳永英明など手当たり次第に、自分の好む歌手のコンサートに出かけていた。そんな時に氷川きよしのコンサートが大阪城ホールであると知って、抽選でチケットをゲットしたのだった。
会場に行くと、私がそれまで出かけてきたコンサートの客層とは異なり、非常に高齢層の人達を見かけた。
杖をついたり、孫と思われる人に手を引かれたり、車椅子の人も多かった。
また地方からの団体と思われる一群にも出会った。
そうやって会場に入れば、ほぼ満杯。
そして、和気あいあいの雰囲気の中で、コンサートは始まった。
私は自分のスケジュール上、エントリーできたのが、たまたま彼のバースデーだった。
ファンにとっては最大重要日である。
全国からファンが集結している。
そんな記念すべき日のコンサートだったのだ。
そしてコンサートでは、これまた今までのアーティストのライブにはない進行の仕方だった。
即ち、司会者がいるのである。
司会者が歌についての講釈を言ってから、彼が歌う。
歌い終われば再び司会者が出てきて、一緒にMCをする。
いわゆる歌謡ショーの風体をしたものだった。
しかし、コンサートの中身は非常に充実したものだった。
演歌、ポップスと彼が歌ってきたものの集大成に近いようなぐらいの充実した濃い内容のもので、43曲を歌う、という彼の歌を満喫出来る内容だったのだ。
そのコンサートの後半で、彼が今まで「演歌歌手だから男らしくいなさい」と言われ、髪を茶色に染めたりピアスをつけることも、男らしくないとか演歌歌手らしくないと言われ、自分はありのままの自分でいたいのに、その気持ちと裏腹で、ずいぶん葛藤したことなどを話し、誰でも自分らしくいたらいいし、自分もそのようにありたい、というような主旨の発言をしたのが非常に印象的だった。
その時、私は彼が長年、自分のイメージと戦い続けてこなければならなかった、という苦悩を感じたのだった。
その発言や彼の様子を直に会場で目にしたから、その後の彼の変貌ぶりには何の違和感も持たなかった。
「きよし」からKiiになり、Kiinaになっている彼の今の姿は、非常に魅力的である。
そして何よりも彼が、風貌だけではなく、歌手としての中身の充実度や、進化度が素晴らしく、外観と内面の進化のバランスが取れているからこそ、魅力的に見えるのだと感じていた。
そんな彼が今年度で活動を休止するという。
事務所との確執やがあるのかないのか、それは誰にもわからない。
私も業界に入ってから何度か長良グループの彼の担当者とはコンタクトをとった事があるので、その時の印象から事務所の雰囲気や彼の立場などをある程度想像することは出来る。
しかし、それはあくまでも憶測でしかなく、本当の理由は彼自身の心の奥深くにあるのだと思う。
ファンとして、今まで応援してきた推しが目の前からいなくなる。
確かに結婚やスキャンダルは、ショッキングな出来事だ。
それでも推しが目の前からいなくなる、
もう見ることは出来なくなる、ということに勝るものはない。
私も12年前に推しが日本活動を打ち切られ、自国へ戻ってしまった時、
もう、二度と日本で彼の姿も歌声も聞けない、という事実に打ちのめされそうになった。
もうこの日本のどこを探しても、彼の姿も歌声も見ることも聞くこともできない。
これほど、ファンの気持ちを打ちのめす事実はないのである。
だから私は自分の寂しさを書く場所が欲しくてブログを書き始めたのだった。
それぐらいほんの軽い気持ちで書き始めたブログが今の私の原点である。
そして、何の保証もないまま、ただ、もう一度、日本で彼の歌が聞きたい、という気持ちだけで、彼のブログを書き続け、彼はきっと日本に戻ってくる、と信じ続けて8年間、待ち続けたのだった。
その間、自分がファンとして何ができるのだろうか、
それだけを考え続けて行動していた。
そうやって信じた結果、8年後に彼は戻ってきたのだった。
だから、氷川きよしのファンの不安な気持ちは、少しは理解出来る。
そして、彼がいなくなった後の日常にどんなものが待ち受けているのかも、私には想像出来るのだ。
だからこそ、私はファンとして出来ることは、彼を信じて待つことだけだと思っている。
彼が十分な休息を取って戻ってこれる場所をファンが守り続けて待つこと。
それだけがファンとして出来ることなのではないか、と思うのだ。
私は、推しの歌声が消えることと、多くの日本人の記憶の中から忘れ去られる事が堪らなく嫌だった。
だから推しの歌についてのレビューを書き続けた。
私の書いたものが、少しでもファン以外の誰かの目に止まり、推しの歌に興味を持って聞いてくれたらいい、存在を知ってくれたらいい、とそれだけを願って書き続けた。
その中で推しの存在が忘れられないようにファンとしてできることをやってきただけである。
結局、究極、彼を信じ切れるかどうか。
それだけなのである。
その間に、彼が何をしても、自分の気持ちとは裏腹なことをしたとしても、「必ず戻ってくる」と信じて待ち続ける事ができるかどうか、
それが試される期間なのだと思う。
私も氷川きよしが戻ってくるのを信じている。
なぜなら、彼は「歌が好き」だからである。
私の推しもそうだった。
人前で歌う経験を一度でもした人間ならわかる。
ステージに立って歌う事がどれほど魅力的で、自分自身が元気になるかということを。
それを簡単に手放したりは絶対にしない。
だから彼はきっと戻ってくる。
その日を楽しみにしながら、今年一年の彼の活躍を見たいと思っている。
ツアーが無事に開催され、完遂できることを祈っている。