氷川きよしがNHKの「うたコン」で歌った「母」を聴いた。

こんなことを書くと長年のファンの人達から叱られそうだが、氷川きよしは歌い方が変わったと思った。

 

故なかにし礼作の「母」は、氷川きよしが特別に思い入れした作品でもある。

この曲を歌う時、以前は、彼はその思いを全面に出して、力強い歌という印象があった。

声の張りは十分であり、特にサビの部分はさらに思いを込めて、直線的な響きで彼の思いを込めていたし、言葉の一つ一つのタンギングなどもハッキリと一言も疎かな響きにすることなく歌っていたという印象がある。

しかし、久しぶりに聴いた「母」は、そういう印象とは全く違うものだった。

全体的に歌に「抜け感」が漂っていた。

響きの抜き、言葉のタンギングの抜きなど、以前の「母」の歌唱には見られなかった、いい意味での「抜け感」が漂っていた。

以前の歌が直線的なメッセージであったなら、今の歌は、曲線的なイメージを持つ。

音楽が全体的にまろやかになった。

 

どんなに演歌とポップスを歌い分けると言っても、そこは同じ人間が歌うのだから、微妙に影響し合う。

以前の演歌だけの彼は、意識的に「男らしさ」を強調した歌い方になっていた。

もちろんそれは「白雲の城」や「一剣」「男花」などのようにまさしく男が全面に出た歌である場合は有効な表現手段であるが、そうではない歌の場合、この「母」や「桜」などのような歌の場合は、別の表現方法があっても十分楽曲の世界観は伝えられると感じる。

 

ポップスを歌う中で、彼はいい意味での「力の抜け感」を身につけたと思う。

その結果、この曲だけでなく既存の演歌の歌い方も変わってくるのではないか、と思った。

 

演歌の氷川きよしも進化中だ。