「LA LA LA LOVE SONG」で彼は自身の卓越した声量とリズム感を披露した。

それは彼の身体の中にある音楽がポップスなのだということを十分認識させるものだったと感じる。

だから彼の演歌は、ド演歌であってもどこか演歌臭くない。それが私が彼の歌に好感を持ち続けた理由だったのかもしれないと思った。

氷川きよしと言えば、「きよしのズンドコ節」が余りにも有名だ。

この歌は元来あった「ズンドコ節」をアレンジしたものだが、彼特有のリズム感の良さを感じさせる。リズムが粘らず、テンポ良く前へ前へと進んでいく。

この軽さが氷川きよしの持ち味であると私は思う。

そしてそのリズム感は、彼の中にあるポップス音楽によって形成されたリズム感なのではないかと感じるのだ。

 

尾崎豊の「I Love You」は余りにも多くの歌手がカバーしている。

声量のある歌手がカバーした場合、予想されがちなタイプの歌い方がある。それは彼の場合にも当てはまるものだと予想していたものが全く違った。

彼は非常にこの歌を慎重に歌い始めた。言葉の一つ一つを噛み締めるように紡いでいく。

これは演歌の唱法とは全く違うイメージを持つ。

演歌の場合、言葉の全てのフレーズ、全ての語幹で響きを保ったまま歌う、という印象を持つ。即ち、どんなフレーズも言葉の響きを抜かないのだ。言葉の処理をするのに、最後の1音節まで響かせる。その為、非常に鳴りのいい歌声が曲の全編を通して存在する。

これに対し、ポップスは、言葉の語尾の処理で響きを抜くことが多い。最後の一句まで響かせて歌うのは、あえて言葉を強調する時に用いるテクニックであることが多く、大概のポップスの曲に於いては、語尾の響きを抜く。それによって日本語のリズムの緩急を表すことが多い。

演歌歌手がポップス曲を歌う時に陥りやすい傾向がこの「抜け感」が上手く表現できないことだ。特に低音部の処理において、綺麗に響きを存在させることが多く、それによって、リズムに重さを感じることが多い。

尾崎豊の「I Love You」をカバーする演歌歌手のものを聞いたが、やはり今書いたような言葉と響きの関係において、演歌歌手特有の特徴が出ているのを感じたことがある。

しかし、この日の氷川きよしの「I Love You」には、そのどれもが一切存在しない。

まるで全く違う別人のポップス歌手氷川きよしが存在しているかのような錯覚に陥るほどだった。

ステージに直に座った形で一つ一つの言葉を自分の周りに丁寧に置いていく。呟くように響きを抜き、自分に言い聞かせるように歌い始める。そこからメロディーが展開し、サビの高揚感の前のクライマックスまでは、彼の歌声は変わらない。多くの歌手が気持ちの高揚感に合わせて歌い込み、声を張り上げていくのに対し、彼はサビの手前までじっと声を慎重にコントロールする。

そしてサビの部分で、初めて歌い上げるのだ。

この歌い方はポップス歌手以外の何者でもないと感じる。

彼はこの曲を完全に自分のものとして自分の側に引き寄せ、取り込み、そして消化させている。

訥々と言い聞かせるように紡いでいく歌い方のどこにも演歌の匂いはしない。

そして響きを抜くことで言葉をリズムの上に乗せていく。

 

上手い、と思った。

正直、こんなふうに彼がこの曲を歌うとは思わなかった。

そこには「愛に飢えた」彼の姿があった。

 

氷川きよしは、ポップスを歌うべき人だったんだ、と思った。

 

DVDはまだ最後まで観ていない。

彼の引き出しに何が入っているのか、非常に楽しみだ。