上沼恵美子氏の紅白についての発言が話題だ。

「あたしの知ってる紅白歌合戦じゃなかった」
「緊張感ゼロ」

彼女の言葉は、今の紅白の問題点の核心をついて大事なことを思い出させる。

「歌合戦は音楽祭とは違う」

そうだ、紅白は歌合戦だったんだ。

この10数年ほどの間に歌番組はすっかりTVの画面から姿を消した。
現在あるレギュラーの歌番組は、NHK「うたコン」テレ朝「Mステ」FNS「ミュージックフェア」の3番組があるだけだ。
CDが売れなくなりデジタル音源が主流となった現代では、いわゆるヒット曲というものが生まれにくくなっている。
文化の多様化が進み、音楽の分野でも昔のように1つの曲が一世を風靡するというようなことは殆どなくなった。
CDの販売枚数よりもYouTubeの動画再生回数の方が重みを持つ。
そんな中で歌手が実際に歌を歌う機会はどんどん減ってきていると言えるだろう。

レギュラーの音楽番組が減った代わりに夏と冬には特番が組まれるようになった。
多くの歌手を出演させて様々なパフォーマンスをさせる。
「歌謡祭」「音楽祭」と銘打って日頃歌わない曲を歌ったり、他の歌手とコラボしたり、最近では必ずミュージカルコーナーやディズニーコーナーなどを設けている番組が多くなった。

持ち歌以外の曲を歌うのを聴いてあらためてその歌手の実力を知ったり、意外な人がミュージカルナンバーを歌って実力を示したりするのを知る機会でもある。視聴者にとっては、一度に多くのヒット曲を聴けたり、新たな歌手を知ったりする貴重な機会にもなる。た出演者にとってはファン以外の視聴者に広く自分の魅力をアピールできるチャンスでもあるから、それなりに番組としての存在価値はあるのだろう。
しかし、その出演者の顔ぶれにはかなり局側の意向が反映されており、結局、事務所の力関係や局への忖度によって決まるという一面がないわけではない。
それは今に始まったことではなく昔から民放が作る音楽番組である限り、ありがちな話だったと思う。
そんな歌番組とは一線を画していたのが「紅白歌合戦」だったはずだ。

「紅白歌合戦」

歌合戦と銘打ってる限り、「対抗し合う」「競い合う」ことを目的にしていたはずだ。
だから「アカ」「シロ」に分かれて競い合った。
しかし最近の「紅白」は民放の音楽番組となんら変わらない。もっと言えば「うたコン」の延長番組のようなものだと感じる。

NHKの「うたコン」の前身は「歌謡コンサート」だ。
「歌謡コンサート」は、演歌や歌謡曲が主体の番組で、他のジャンルの出演者は皆無に近かった。司会者もNHKのアナウンサーが歴代務め、ベテランや大御所歌手の出演が多く、また演歌の新人歌手にとっては登竜門のような意味合いを持つ番組でもあった。
しかし谷原章介を司会に据えた「うたコン」になってから、その内容は大きく変わった。
アイドルやジャニーズ、ロックバンド、KPOPなど、ジャンルに捉われることなく総合音楽番組の体をなしている。
さらに昨年あたりからは頻繁にカバー曲を歌わせたり、コラボさせたり、出演者全員で歌うなど、じっくり歌を聴くというよりは音楽祭の趣向が強くなった。
それに呼応するかのように(どちらが先なのかは不確かだが、最近の「うたコン」はミニ紅白化している)「紅白」もパフォーマンスだらけの祭りになった。

「紅白歌合戦」が「紅白祭り」になったのだ。

昨今のジェンダーレス論議はこの場合横に置いておいて、純粋に「紅白歌合戦」なるものを考えてみた。

確かに昔の「紅白」にはもっと威厳があった。
日頃、なかなか聴くことのできない大御所の歌手達の生歌をテレビで観ることが出来た。
短いバージョンで歌うことの多い音楽番組とは違い、紅白ではフルバージョンの歌だった。
歌手にとっては全国放送され誰もが見る番組に出ることで、やっと一人前として認められる、という意味合いもあった。

それぐらい「紅白」は特別な番組だった。
「紅白」に出ることはある意味、歌手の勲章のようなものでもあった。

一年の最後の歌を「紅白」の舞台で歌うことは、歌手冥利に尽きる。それほど真剣勝負だった。
だから新人歌手は吐きそうなぐらい緊張し、声が震え、歌い終われば涙が出るほどだったのだ。

しかし、今はどうだ。
口パクで平気でステージに立ち、歌手面をするアイドル軍団。
上手いんだか上手くないんだかわからない、誰の意向で出演できたの?と疑問に思う歌手。
「うたコン」の延長のように「ハイ、今回はこの曲のカバー」と、毎回、人の曲ばかり歌う歌手。
昔の持ち歌のヒット曲をリサイクルのように繰り返して歌う歌手。

これらが全て悪いとは言わない。
音楽祭ならOKだろう。
しかし、「歌合戦」ではNGだ。
およそ「歌合戦」には似つかわしくない歌が並ぶ。

「歌合戦」というからには「真剣勝負」だったはずだ。

一年の「歌い納め」
そういう意味合いが強かった。

だからこそ、歌手は真剣勝負で自分の最高の歌を披露する。
どの歌にも「魂」が漲っていた。

そんな「紅白」の真髄とも言うべき根幹の部分を最近の「紅白」は軽視しているように感じる。

歌手達が心を込めて一年歌い綴ってきた歌を全フレーズ歌わせない。
やれ太鼓だ、やれダンスだ、やれコントだと借り出して、彼らが歌に集中できる時間を削っているように見える。
そんな歌番組に出るより、自分のライブに集中した方がよっぽど価値がある、と判断する歌手がいても不思議ではない。

確かに楽しい祭りの要素は必要だろう。
しかし、そういう趣向は他の音楽番組でも十分見聞き出来る。

「歌合戦」と銘打ってる限りは、歌手の魂を込めた真剣勝負が見たい。

上沼恵美子氏のコメントを読んで、大事な感覚を思い出した。

今でも歌手達にとって「紅白」に出ることは特別な意味合いを持つものでもある。
彼らに「歌」による真剣勝負の場所を提供して欲しい。

それが出来てこその「紅白」だ。

なぜなら、「紅白」は「歌合戦」なのだから。