年末に放送された「Mステ ウルトラSUPER LIVE」の椎名林檎の歌に読者の方から以下のようなコメントをもらった。

林檎さんの楽曲(2曲とも)いつもよりピッチが早い気がして違和感があって、まあ生放送なので尺の関係かな?とは思いましたが、バンドの音もズレてて、林檎さんもガナッて歌ってるような(説明が下手ですみません)。とにかく違和感ありありで(>_<)演出やアレンジの関係なら私が無知なだけなんですが、放送に間に合わせる為だったとしたら、林檎さんが気の毒だなと。どんなふうに感じられましたか?

それで年末に録画しておいたMステの椎名林檎の部分を視聴した。
彼女はメドレー形式で「NIPPON」と「自由へ道連れ」の2曲を歌った。
一曲目の「NIPPON」の方はテンポのズレやリズムの走りなどは殆ど感じなかった。しかし、「自由へ道連れ」の方は確かにテンポが早く全体に走っている感が否めない。後半は特にテンポアップしていて彼女は歌いにくそうにも見える。この楽曲の公式の動画と聴き比べてもこの日のテンポはかなり早いと感じた。
真の理由がどこにあるかはわからないが、もし放送時間の関係で「巻き」の指示が出ていたとしたら、それは彼女にとっては本当に気の毒なことだったと思う。

彼女の歌に限らず、このように歌手がいい歌を歌える条件の中に放送時間が影響を与える場合は多い。

例えば、ほとんどの歌番組ではフルコーラス歌えない。酷い場合は、ここから歌手の気持ちが高揚してクライマックスだというフレーズの前で切られることもある。

 

 

年末には多数の音楽の特番が放送されたが、出演者の顔ぶれは被るものが多く、楽曲も同じものが多かった。
1年間の活動の集大成のような意味合いのものが多いために、楽曲が同じなのは致し方ない。しかし同じ曲を歌っているにも関わらず、歌の出来不出来を感じることがあった。それはもちろん、歌手の体調など歌手自身の理由もあるがそれとは全く別の要素で歌の出来に影響を及ぼす場合もある。

それについて書いてみたいと思う。

 

歌手の歌に大きく影響を及ぼすものの一つに生バンドかカラオケかの要素がある。

オンエアされている音楽番組で必ず生バンドなのは、たぶん「うたコン」ぐらいではないか。「ミュージックフェア」も生バンドが多いが、「Mステ」はカラオケが多いように思う。年末の音楽番組でも全てが生バンドとは限らなかった。歌手が自分のバンドを引き連れている場合を除いて、カラオケが基本的に多かったように感じる。

そういう中で、出演歌手全ての歌のクオリティーが高いと感じたのは「レコ大」だった。

 

 

確かに「レコ大」はグループアイドルを除けば、歌の上手い人達の集まりだった。

新人賞を受賞した歌手達、また優秀作品賞を受賞した歌手達、そして様々な企画賞を受賞した歌手達のどの演奏も非常に質が高く歌唱力に優れていたと感じる。年末に他の番組で同じ歌を歌っていたにも関わらず、非常に歌の出来がいいと感じた歌手が多かった。

 

 

「紅白」が歌合戦本来の目的を見失っている今、その前日に行われた「レコ大」では非常に歌手の歌に対する意気込みを感じた。

それは歴史ある賞を受けたに相応しい歌を披露しなくてはならないという使命感というものだったり、音楽界の重鎮が並ぶ前で下手な歌は歌えないという、いい意味での緊張感だったり、何より一番感じるのは、歌手達が受賞したことへの喜びと、受賞したことでさらに一層の精進をして行こうとする謙虚さを感じるものが多かった。

歌手本人達のこれらの気持ちがそのまま楽曲の出来に影響を及ぼしたのは言うまでもない。

 

 

しかし、それにも増して歌手達の優れた歌を引き立てようとする生フルオーケストラの存在が大きな要因であることは紛れもない事実であると感じる。

 

 

生演奏とカラオケ音源の違いは「歌いやすさ」という点において全く異なる。

 

現代ではCDの録音においても予め録音されている伴奏の音源に合わせて歌うことが殆どであるから、彼らにすれば聴き慣れた音源であることは確かなことだ。

 

しかし、歌というものは「生き物」だ。

 

どんなに音源に合わせて練習を積んでいても、どんなに毎回同じように歌っても、そこに生身の人間が関わる限り同じように歌うのは限りなく難しい。

「生き物」である歌は、歌手本人の意識とは裏腹に毎回違う顔を見せる。

それはブレスだったり、タンギングだったり、音程やリズムの微妙なズレだったり……

決して同じに歌えないのが「歌」というものなのだ。

 

そういう魔物のような「歌」を支えるのが伴奏である。

音源では対応できない微妙なテンポのズレやブレスの揺れを瞬時に感じ取って本人の歌に合わせてくれる。

それは歌手にとって大きな安心に繋がる。

 

優れた生演奏は、歌手がどんな風に歌ってもその音楽について来てくれる。歌手が歌いやすいようにテンポの間を取ったりリズムを揺らしたりする。また歌手の気持ちの高揚に合わせて、音楽をリードすることで歌手がさらにいい歌声が出るようにうながしてくれたりする。

即ち、歌手にとっては、この上なく歌いやすい環境を作ってくれるのだ。

 

 

これは音源とは全く違う。

 

 

「レコ大」には優れたフルオーケストラが入り、また楽曲によっては生コーラスが入っていた。

この環境が出演した歌手達にいい影響を与え、素晴らしい歌を引き出したと言える。

「レコ大」の優れた歌唱の隠れた功労者は、フルオーケストラと指揮者にあると言っても過言ではないだろう。

 

 

優れた歌手は優れたバンドを持っている人が多い。それは最高の歌を引き出すには生のバンドが不可欠なのを知っているからだ。

そういう意味合いから考えると、「レコ大」が優れた番組であったのは当然の結果であり、あくまでも生演奏に拘った番組作りを続け、「歌手の持つ最高の力を引き出す」ということに主眼を置いた製作陣のスタンスが「紅白」と「レコ大」との大きな違いであると感じる。

 

歌手の最高の歌を聴くなら、「レコード大賞」がいいと思った。

歌手達が受賞することに喜びと意義を感じ、最高の歌を披露しようとする気持ちがわかった。

 

歌手にとって賞を受賞することは大きな励みになる。

「レコード大賞」の存在意義は大きいとあらためて感じた。