ジェジュンが月一で出演しているNHKラジオの番組で5人時代の曲「Hello Again」を聴いた。
「Hello Again」は2007年発売のアルバム「Five in the Black」に収録されている。

この曲を聴いたのは何年振りだろう。
2010年の分裂前の数ヶ月間、5人の曲を貪るように聴いた時期があった。
あの頃、どんなに聴いてもジェジュンの歌声以外に魅かれなかった。
ボーカルグループの常でいくらメインボーカルと言っても自分の枯渇した欲求が満足できるほどの歌声は聴けない。それで日韓のアルバムをかたっぱしから聴き漁っていた。

「Hello again」はあの頃の5人の復活を望む気持ちや気持ちの繋がりを求めるのにちょうど良い歌詞だったかもしれない。私は漠然とした不安の中でこの曲を聴いては未来志向になったのを覚えている。たくさんのアルバム曲の中でも特に好きな曲の一つだった。
なぜならジェジュンの伸びやかな歌声が大好きだったからだ。
2007年のこの曲はあの頃の彼の歌声の特徴をよく表している。

伸びやかで透明的な歌声。
ソフトな音質と少しハスキー気味なハイトーンボイス。

これがあの頃のジェジュンの歌声の特徴だ。

あの頃貪るように聴き魅かれた歌声は、久しぶりに聴くと懐かしさと共に印象が違った。

人の記憶というものは面白いものだ。
何年も聴かなかった間に記憶の中で自分好みの印象に書き換えている。
自分の好きな歌声に記憶を書き換えているのがわかる。

私の記憶の中の彼の歌声は、例えば韓国語の「Forgotten Season」(忘れられた季節)
この歌声が5人時代の彼の象徴的な歌声として記憶に残る。
即ち、ちょっとハスキーでソフトで濃厚な歌声。(厳密に言えば、5人時代の最後「時ヲ止めて」からJJY時代は既に歌声は違う)
でもよく考えれば彼の肉体の成長と共に歌声は変化して来たはずなのだ。

久しぶりに聴いた「Hello again」の彼の歌声はずいぶん幼く感じた。

あの頃、透明的で伸びやかだと感じた歌声は今聴くとずいぶん細い歌声だ。
響きが明るく細い歌声。
伸びやかで透明的な音色は今の歌声に比べれば実はずいぶん未完成で未成熟な歌声だったのだと気づいた。
これが若い歌声と言えばそうなのかもしれない。

あの頃の細く透明的で伸びやかな歌声が好きだという人は多い。
確かに魅力的な歌声だった。

でもあれから12年。
今の彼の歌声を聴き慣れている耳からすると、ずいぶん細く軽く幼い歌声だったのだとわかる。
そして今の彼の歌声の方がずっと魅力的だということも。

確かに今より日本語の発音は正確で、癖がない。綺麗に発音されている。しかし、ただそれだけといえば余りにも辛口だろうか。
東方神起時代の彼の歌声はメインボーカルと言えどもあくまでもグループの中の歌声。
親和性が高く他のメンバーの声質に溶け込む音色だ。
透明的だと感じたのは他の音色に同化しやすく自分の色を親和性の高い音色にしているからだと気づく。
特にこの曲が発売された2007年は、まだメインボーカルとしての歩みがやっと軌道に乗った頃だ。(彼がメインボーカルとして自分の色を出し始めるのは2008年になる)
それが彼の歌声の存在感を遠慮がちで細い歌声の印象にしているのかもしれない。

今の歌声は決して親和性が高いとは言えない。
しかし、そこには彼が存在している。
それがソロの歌声であり、声が変わったと感じるのは彼がソロ歌手になったからだとわかる。

「東方神起の「Hello Again」です」と何の躊躇もなくサラッと紹介した彼の口ぶりと曲後の「12年も前なんですねー」の問いかけに「そうですねー」と答えた言葉に、彼の中で5人時代は歌手としての歩みの中の一つの時代として完全に消化されたのだと感じた。

分裂という経緯はあっても過去を消すことは出来ない。
彼が東方神起の一員だったことは紛れもない事実であり、今ソロ歌手として立っている位置は、5人時代の経験の上に成り立つものであることは誰の目にも明らかだ。

彼が東方神起というグループ名を語り自分の過去の曲を紹介できたことに、もう彼が別の場所にいることをあらためて感じさせた。