たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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今回は、『鱗』や『ひまわりの約束』などの楽曲で知られる秦基博を扱います。アコースティックギターの弾き語りのスタイルで有名な彼と音楽との出会いや抜群の声質を持っていると言われる歌手としての魅力に迫っていきたいと思います。

独学でギターを弾き始めて…

秦基博(はたもとひろ)は、1980年生まれの現在43歳。宮崎県で生まれ、横浜市で育ちました。彼は3人兄弟の末っ子です。

そんな彼と音楽との出会いは、12歳の頃というのですから、小学校6年生の頃でしょうか。6つ違いの一番上のお兄さんが3000円ぐらいで譲り受けてきたアコースティックギターを弾かせて貰ったのが始まりとのことです。

その頃、お兄さんが持っていた長渕剛の弾き語りの本を見ながらコードなどを覚えていった、というのですから、全くの独学で弾き始めたと言えるでしょう。

中学生になり、Mr.Childrenやエレファントカシマシ、ウルフルズなど、自分の好きなバンドの曲をコピーしては、彼は、次々、コード進行を覚えていきます。

そうやっているうちに、自然の流れとして、やがて自分でも曲を作るようになっていくのです。(

この頃のことを彼は、「とにかく楽しかった」と話しています。好きな人達の曲をコピペしては、自分の中に取り込んでいく、というように、自分のために、自分が楽しむために曲を作っていたのが中学生の頃と言えるでしょう。

軽音部に入っていた中高校生時代の頃は、自分でバンドを組むという気持ちにはならず、「音楽は1人でやるもの」という考えだった、と言います。あくまでも音楽は自分のためにある、というか、自分が楽しむために行うもの、という認識だったのでしょう。

ですから、最初から、自分1人のソロでの弾き語りというスタイルが、自分の音楽のスタイルとしてイメージされていたのかもしれません。そんな彼が初めて人前で演奏することになったのが、高校生最後の卒業ライブのときでした。

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横浜のライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」に定期的に出演

 

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