たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

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連載の20人目は日本を代表する歌姫MISIAさんを扱います。今年活動25周年を迎えた彼女が歌を通して伝えたいもの、伝えたいメッセージについて彼女の歌手活動だけでなく、歌以外の部分から見えてくるものを掘り下げていきたいと思います。

歌手を目指そうと思ったのは、ある曲の一節だった

MISIAさんは1978年生まれの44歳。長崎で生まれ、医師である父親の「離島に新しい医療を届けたい」という思いから幼少期は対馬島で自然に囲まれて育ちました。その後、福岡県立香住丘高等学校に進学。大学進学後に歌手を目指して上京しました。

両親が大学時代にコーラスサークルで出会い結婚したという環境の中、家庭内にはいつも音楽が流れていました。豊かな対馬の自然と共に音楽は彼女の中に取り込まれていったのでしょう。

9歳から対馬の合唱団に所属していた彼女が歌手を目指したいと思うようになったきっかけは、11歳の頃に聴いたコマーシャルで流れていた曲。それは、ゴスペルミュージカル『Mama’ I Want to Sing』の一節でした。

ゴスペルの歌声に衝撃を受け、「歌手になる」と宣言し、家族も本格的にレッスン先を探したりして応援したとか。

そうやって彼女は「歌手になる」という夢を実現するために、中学3年から単身で姉の住む福岡に移住しました。

彼女は、高校時代、黒人のボイストレーナーと出会います。そのトレーナーから「歌は頭で歌うのではなく心で歌うもの」ということを学び、大学進学後、さまざまなオーディションを受ける中、8月には所属レコード会社が決まり、1998年、『つつみ込むように…』でメジャーデビューしました。

デビュー曲は即完売、ファーストアルバムは300万枚の大ヒット

彼女の名前、MISIAは、”本名の自分の名前”と“ASIA(アジア)”を組み合わせたものとのこと。ファンの間に広まっていた「” 救世主Messiah”と組み合わせた」という話を番組で否定しています。

彼女はこの番組の中で、2020年の「音楽の日」に東大寺から歌を届けたことについて、コロナ禍の時代だからこそ、元気を届けるという意味で音楽は必要であり、どんな形でもいいから歌を伝えるという意味でマスクをつけて歌ったということを話しています。

困難な時代だからこそ、歌を届けていく、という歌手としての彼女の信念が伝わってくる話の一つと言えるでしょう。

デビュー曲『つつみ込むように…』は全国のクラブ・シーンを中心に盛り上がり、先行販売されたアナログ盤5000枚は即完売するという状況にもなり、ファーストアルバム『Mother Father Brother Sister』は300万枚を超える大ヒットを記録しました。

デビュー前、彼女は、とにかくストリート・カルチャー…R&Bとかヒップホップとか、まだ当時の日本には浸透してなかったそういう音楽がすごく好きだったとのこと。

そういう音楽がやりたくてアメリカのレコード会社にデモテープを送ったりしていましたが、アメリカのレコード会社からは、「アジアンチックな女の子がセクシーな歌を全部英語で歌って欲しい」と言われ、それは自分がやりたいことと違うと思ったそうです。

その後、日本のレコード会社の方に出会ったときに、自分は日本語でそういうのをやってみたいという話をすると、僕たちもちょうどそういう音楽をやりたいと思っていたということになって実現したのが、デビュー曲の『つつみ込むように…』

リミックスを作ってもらい、当時のクラブですごい人気だったDJ WATARAIさんとMUROさんにラップをしてもらって、あちこちのクラブでかけてもらう、というところから始まり、徐々に広がっていったのです(2017/08/12 放送のTOKYO FM「Challenge Stories~人生は挑戦であふれている」)。

このような経緯を辿って、当時、日本にはほとんど広がっていなかったR&Bやソウルミュージックが彼女の歌声で少しずつ日本社会に浸透していったと言えるかもしれません。

彼女を除いて両親、姉、兄と、家族全員が医者という環境に育った中、幼い頃から、離島の住民達を助けるために奔走する両親の姿を見て育ち、自宅医院に併設する保育所の子どもたちの世話をしながら、歌手を目指す前は保育士になりたかったという彼女は、命の大切さや幼いものへの愛情を自然と育んできたのでしょう。

その精神が彼女を歌手活動以外の活動に導いていったのかもしれません。

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音楽の原点、ソウルミュージックに導かれてアフリカへ

 

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MISIA『平和を願い歌い続ける歌姫』(前編)人生を変えるJ-POP[第20回]|青春オンライン (note.com)