優里の『シャッター』『ペテルギウス』を聴いてみた。

どちらも一髪撮りのサイトTHE FIRST TAKEで歌ったものだが、これらの曲を聴いて、彼の歌手としての魅力がどこにあるのかがわかったような気がした。

ファンに言わせれば、多分いろいろあるのだろう。

しかし、お叱りを受けることを承知であえて書くと、

優里という人は歌手として突出したものを持っているとは言い難い。

伸びやかな声や豊かな声量を持っているとは言い難く、甘い魅力的なビブラートを持っている歌手でもない。

どちらかと言えば、ストレートで響きにそれほど幅はなく、ビブラートも存在しない声である。さらに聴衆を圧倒するような豊かな声量を持っているとも言えない。

歌手としては決して強力な武器を持っているとは言い難いのである。

しかし、彼の歌は非常に魅力的である。

それは彼の歌が、そのまま彼自身の心の叫びに直結しているからに違いない。

 

歌手には2通りのタイプがあると私は思う。

1つは、楽曲の伝える世界観を忠実に再現するタイプ。

これは楽曲に歌手が寄り添った歌い方をする。

即ち、楽曲によって現す世界観が変わってくる。もちろん、その中で自分のカラーというものを出してはいるが、あくまでもその楽曲の世界観を伝えることに忠実である。

これに対し、もう1つのタイプは、楽曲を自分の側に引き寄せて歌うタイプだ。

これは、どんな楽曲が来ても、自分のカラーに曲を塗り替えていく。自分の世界観を強烈に楽曲に投影して、自分なりの楽曲に作り替えていくタイプだ。

しかし、この2つのタイプは、シンガーソングライターには当てはまらない。

なぜなら、自分で詞を書き、曲を作り、歌うシンガーソングライターでは、当然、自分の世界観がそのまま歌に投影されているからだ。

あとは、その曲をどのように表現するか、そこに歌手としての側面が見えてくる。

その側面から見れば、優里は明らかに後者のタイプである。

 

彼の歌の魅力は、Aメロから始まる歌声の無色の色彩と、サビの部分の力強い叫びにも似た歌声との対比にある。

この対比の世界が見事にどの曲にも現れているのである。

それは、彼自身が、歌うこと、そのものが感情の吐露に直結していることを現している。そして、それをそのまま隠すことなく素直に表現しているのである。

これが、彼の歌が人の心を引きつけて止まない大きな要因だろう。

非常にエネルギッシュなサビの歌声は、彼の感情そのものを現している。

 

優里という歌手の魅力は、この感情のストレートさにある。

そう感じながら、楽曲を聴いた。

今後も彼の作る楽曲は非常に魅力的なものに違いない。

彼の作り出す音楽の世界がどのように展開していくのか、期待を持って見守りたい。