氷川きよしのコンサートを2年ぶりに観た。
前列3列目(実質2列目)というファンの人には恨まれそうな席で拝見することになった。
実は、このコンサートは、日程だけを見て、内容を考えようともせず申し込んだものだった。
即ち、私は彼の「劇場コンサート」というものが実際にはどういうものなのか何も知らなかったのだ。新歌舞伎座で行われるというものが、普通のコンサートとは違うものなのだということを認識していなかった。
これは私が氷川きよしという人の今までの活動歴の内容を分かっていなかったということになる。
氷川きよしには、いわゆる普通のコンサートツアーと劇場コンサートというものがあるということを知らなかった。
劇場コンサートは、明治座、御園座、新歌舞伎座、博多座の4つの劇場でのコンサートで、かつて彼が劇場で演じた時代ものの歌が中心に歌われるコンサートのことを言うように思われる。
そういう予備知識を何も持たない私にとって、このコンサートはその雰囲気に入っていくのに少し努力がいったというのが正直なところだ。私のように、彼のJPOPを歌う姿に惹かれてコンサートを観にいったファンにとっては、前半はちょっと面食らう雰囲気だったかもしれない。かつて彼が演じた演目の主人公の歌を次々歌うという展開で始まった劇場コンサートだったが、このコンサートは、演歌歌手氷川きよしのファンには堪らないセトリだったのではないかと思う。
このコンサートを聴きながら、氷川きよしという歌手が抱えている二面性というものをあらためて感じた。
会場には若い年代のファンはほぼいないに等しかった。
2年前に「限界突破✖️サバイバー」の大ブレイクでそれまで演歌歌手として培って来たキャリアから大きく路線変更をした。その変身は見事だったとしか言いようがない。
コンサートでは早い時期からJPOPを歌っていたという彼だが、コンサートに行かない私のような一般人には、演歌歌手氷川きよしの変身は新鮮だった。
それと同時に演歌を歌うときには観られなかった躍動感や生き生きとした表情は、氷川きよしという歌手のスケールの大きさを感じさせたし、演歌のジャンルは、彼の全てではなく一部だったのだということをあらためて感じさせるものだった。
あれから2年、コロナ禍の中で行われた劇場コンサートは、演歌というジャンルをあらためて、私のような新規の聴衆に突きつけた内容だったかもしれない。
彼をずっと見慣れてきたファンにとっては、懐かしく、魅力的な姿だったと思われる。
だが、私はこのコンサートを観て、氷川きよしという歌手が抱える二面性を強く感じた。
昨年の中盤までの彼の活動はアルバム「Papillon」に現されるように、前年の宣言通り、演歌というカテゴリーを離れた活動に終始していたように思う。しかし、後半になると演歌のジャンルが台頭してくる。
そういう流れの中での劇場コンサートは、多くの人に氷川きよしの演歌を再度、印象付けるものになったに違いない。
一般的に多くの歌手は、音楽のジャンルを決めて活動する人が多い。
ロックを歌う人は、バラードやR&Bを歌うことは皆無であるし、ダンスチューンがメインの人は、ロックを歌うことは殆ど見られない。
音楽のジャンルを決めて活動することで、自分のオリジナル性を確立しやすくなり、人々の印象に残りやすいからだ。
しかし、昨今のカバー曲ブームの中で、自分のジャンルとは異なるものに挑戦する人も増えている。
氷川きよしも、演歌のカテゴリーを外した途端、あちこちの音楽番組に出演し、ポップスやロックをカバーする機会が増えた。
これは、彼だけに留まらず、島津亜矢のカバーレパートリーの広さや、オリジナルでのポップス曲を歌う坂本冬美に代表されるように、演歌歌手が演歌という垣根を超えてJPOPに参入してくることが多くなった状況の一環とも言える。
JPOPは以前は、演歌を含まないと定義されていた。
演歌は演歌であって、JPOPではないという括りである。
しかし、演歌歌手のJPOP参入は、演歌というカテゴリーに拘らない演歌歌手が増えたという事実の現れのように思う。
その筆頭として、氷川きよしの存在が大きいと言えるだろう。
今後、彼の音楽の中で、演歌のジャンルがどのようなものになっていくのかは、わからない。
ただ、言えることは、彼が歌う限り、演歌とJPOPの融合点が非常に近くなったということだ。
アンコール前の最終曲、「白雲の城」は、演歌歌手氷川きよしの真髄を見せつけるような素晴らしい歌声だった。
これが多くのファンが演歌に拘る大きな理由のような気がした。
今後の彼がどのように二つの世界を融合させていくのか、非常に興味深い。
★追記
そうそう、書き忘れていたが、彼は今回、アコースティックの伴奏で歌うコーナーで、出だしを2度も間違えてやり直すというハプニングがあった。1度目は、出だしを完全に間違い、2度目は、吹き出して歌えなかった。
大きく舌を出して、やっちゃった!!とファンに甘え、膝をついて謝り、「チケット代から300円お返しします」と笑顔で言う彼に、長年の彼とファンとの蜜月のような間柄を感じた。
先日の松田聖子のコンサートでも、同じようなハプニングがあり、その時の彼女の対応もファンに甘える雰囲気だった。
長く歌い続けている歌手を心から信頼し、支えているコアで強固なファン層に、歌手自身が信頼と唯一甘えが許される相手であるという関係性は、どこのファン社会にも存在し、それが長年の歌手活動を支えているのだということをあらためて感じさせられる出来事だった。
それにしても、今季はベテランのミスが多いのは、やはり、コロナ禍で一年以上、歌えない状況が続いたことによるアーティストへの影響が小さくないことを意味している。
先日、SONGSに出演した布施明が「歌手はやはりステージで歌ってこそ、エネルギーと感覚を保ち続けることが出来る」と話していたが、まさしくその通りなのだと感じた。