ミュージカル「NINE」を観た。

今年はコロナの影響で本当にナマの舞台を拝見する機会がほとんど無かった。

城田優の舞台を昨年は2つ観たが、機会があれば観に行きたいと思っているほど、彼の舞台にかける情熱も真摯なスタンスも魅力的だ。

だから、この作品の案内が出た時も何の躊躇いもなくチケットを購入した。

 

ミュージカル「NINE」はイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の実人生をモチーフにしたもので、彼の現実の人生と観念の世界との交錯の中で物語が展開されていく。

この非常に観念的な世界を描いた映画「81/2」の夢想的映像の世界をミュージカルで現した「NINE」は、出演者の非常に質の高い表現力と歌唱力によって、ステージの上に具現化されたと言える。

 

主人公のグイドを演じた城田優は、昨年の「PIPPIN」や「ファントム」とは全く違った典型的なイタリア男性の明るく女たらしなイメージの奥に秘められた繊細で、感傷的で複雑な人物像を見事に演じきっていたと言える。

彼の俳優としての演技力は、ミュージカルの大きなステージの上で花開く。

それはTVドラマの枠には治りきらないスケールの大きさを、ステージが呑み込むからだろう。

今回の演技でもグイドというどうしようもなく女たらしでいて、心の中で亡き母の姿を追い求め、妻、愛人、ミューズという女性達、それぞれを愛してやまない、それぞれの中に、幼少期に満たされなかった愛情を求める事は、彼の中の正義であって、当然の欲求でもあるという真に得手勝手な人物像の複雑な内面を演じ切っていた。

歌唱力の面に於いても、劇中歌に登場する17世紀の宮廷をモチーフとしたオペラの一場面のクラシック的発声や、二役を瞬時に歌い切った父親役など、本来の彼が持つ歌声とは全く違う音色にカスタマイズされた歌声をいくつもの場面で披露し、歌唱力の技術面での確かさを証明した。

 

このようにステージを観るたびに、進化する姿を見せられることで、コロナ渦の中でどのように内面を充実させ、音楽に取り組み、進化したのかを感じられることほど、一人の聴衆として楽しいことはない。

彼の内面の充実度がそのままグイドの充実度に繋がるのだ。

グイド役を通して、彼は役者としての幅が広がった、と感じた。

 

そしてグイドを取り巻く女性陣。

妻役の咲妃みゆ、愛人役の土井ケイト、ミューズのすみれ、母役の春野寿美礼を始めとする女性陣の歌唱力が非常に素晴らしかった。

いつからこんなに歌える人たちばかりになったのだろう、と思うほどのレベルの高さであり、彼女達の支えがあってこそのステージだとも言えた。

 

日本語、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語と多種多様な言語がシーンによって切り替わっていく演出によって国、人種、言語の垣根を越えて複雑な人物像を描き出そうとした演出も素晴らしいと感じたし、字幕スーパーと映像、ステージの3つの空間をシンクロさせて進めていく手法は、より観念的な世界を描き出した。

いずれにしても、城田優は、このグイド役でまたさらに進化した。

それだけは確かなことであり、

事務所を出て独立した彼の最初の作品でもある「NINE」を拝見しながら、

事務所の力を借りなくても、十分、彼はやっていけるだけのバックグランドを持っていることを感じさせた。

 

来年、彼はさらに進化するだろう。

その姿を楽しみにしたい。